1970年代のポーランド インフレで政権崩壊

1980年代前半のポーランド

 インフレ政策で、全国規模のストライキが発生。これにより、ワレサの連帯が成立した。

1970年代の国際情勢

 日本は、田中政権の時代。オイルショックで低成長期に入る。

 中ソ対立で、中国がアメリカ・日本に接近した。

ゴムウカ政権の崩壊

ゴムウカ政権とは

 冷戦期のポーランドは、統一労働党の一党独裁政権である。

 その政権のついていたのが、ゴムウカ第一書記である。ポーランド再興後から活躍した政治家である。

インフレの実施

 68年、プラハの春でゴムウカ政権は、自由化に弾圧的になっていた。

 70年、ゴムウカ政権は、物価を引き上げた。

グダンスクの暴動

 ゴムウカ政権が物価を引き上げると、グダニスクで暴動。ゴムウカ政権は、暴力で弾圧した。これが批判を浴びて、ゴムウカ政権は崩壊した。

ギエレク政権

 ゴムウカ第一書記が失脚すると、ギエレク政権が成立した。しかし、経済の低迷は続いた。これにより、ポーランドでは未集荷要求の声が高まった。

 そして、80年の物価引き上げ政策に失敗。全国規模のストライキが発生。ギエレク政権が崩壊した。

ドイツの東方外交

 69年、ブラント政権が成立。東方外交が成立した。ブランと政権は、東ドイツを承認。

 70年、西ドイツ=ポーランド国交正常化条約が成立。このときに、ドイツとポーランドの国境をオーデル=ナイセ線と確定した。