2世紀のシリア・パレスチナ ユダヤ人、故郷を追われる

前回の復習 3世紀のシリア・パレスチナ

 3世紀のシリア・パレスチナは、属州としてローマ帝国の支配を受けていた。

 イランでサーサーン朝が成立。シリアは、サーサーン朝の前線基地となっていた。

2世紀の国際情勢

 2世紀(201年ー300年)の日本は、弥生時代。世界は、東西二大帝国の全盛期である。

 3世紀は、東西に大帝国の衰退期である。中国では、魏呉蜀の三国の戦乱期である。また、ローマ帝国も軍人皇帝の戦乱期である。

第2次ユダヤ戦争

属州ユダヤ

 180年、五賢帝最後の皇帝マルクス=アウレリウス=アントニヌスが戦死。五賢帝時代が終焉した。

 この時代、元老院の有力者は次々戦死。政治の中心は、旧貴族から騎士階級に変わっていった。

旅する五賢帝 ハドリアヌス

 2世紀のローマ帝国は、五賢帝の全盛期である。

 ハドリアヌス帝は、五賢帝の3番目の皇帝。スペイン(ヒスパニア)出身で、軍人として活躍。17年に皇帝に即位した。

 皇帝に即位すると、前皇帝トラヤヌス帝の時代から続くパルティア(イラン)との戦争を終結させた。

第二次ユダヤ戦争

 ハドリアヌス帝は、ローマ帝国各地を訪問していた。特にエジプトは何度も訪れていた。

 ユダヤ(パレスチナ)も訪問。このとき、ハドリアヌス帝は、ユダヤ教の神殿の跡地にローマ風の庭園を作ろうとした。ただ、当時のユダヤ人の願いは、神殿の再建であった。

 この事件をきっかけに、31年、第二次ユダヤ戦争が勃発した。当時のローマ帝国は、ブリテン(イギリス)でも戦争を行っていた。そのため、当初は苦戦した。しかし、ブリテンでの戦争が終結。ブリテンにいた主力部隊がユダヤ戦争に参戦すると、35年に終結した。

ディアスポラ(離散)

迫害されるキリスト教

2世紀のイラン、パルティア

 2世紀、イランには、パルティアが存在した。2世紀、五賢帝時代のローマ帝国に、クテンシフォンが奪われた。クテンシフォンは、イラク(メソポタミア)にある中東最大の都市で、現在のバグダードにあたる。