8世紀のシリア・パレスチナ アッバース革命 ウマイヤ朝の終焉

前回の復習 9世紀のシリア・パレスチナ

 9世紀初頭、アッバース朝は全盛期を迎える。しかし、後継者争いで衰退。地方総督であるアミールが独自の王朝を立てるようになる。

8世紀の国際情勢

 8世紀(701年ー800年)の日本は、奈良時代。奈良の大仏が誕生。

 中国は、唐王朝の時代。安史の乱をきっかけに衰退期に入る。ヨーロッパでは、ピピンの寄進でフランク王国が台頭。800年に、カールの戴冠が行われる。

ウマイヤ朝

 ウマイヤ朝は、7世紀半ばに成立した初のイスラム王朝。ウマイヤ家がカリフを世襲した。都は、シリアのダマスカスに置かれた。

ベルベル人とヨーロッパ侵攻

 ウマイヤ朝は、7世紀にカルタゴの跡地にチュニスを建設。キリスト教徒であったベルベル人のイスラム化を進めた。

 11年、ジブラルタル海峡をわたり、スペインに上陸。

 13年、スペインの西ゴート王国を滅ぼす。

 32年、フランク王国(フランス)へ侵攻。トゥール=ポワティエ間の戦いに敗北。フランク王国への侵攻を諦める。

イラン人の台頭

 ウマイヤ朝は、東方にも侵攻した。中央アジアのソグディアナを征服。スペインの西ゴート王国を征服した翌年の14年、インドへ侵攻。インダス川周辺まで信仰した。

 その頃、イランはウマイヤ朝の支配下にあった。唐王朝などへ亡命するものもいたが、多くは、イスラム教に改宗した。かれらは、マワーリーと呼ばれた。

 当時、イラン人は冷遇されていた。イラン人は、信仰に関係なく、人頭税(シズヤ)が課せられていた。さらに、アラブ人は免除されてい地租(ハラージュ)が課せられた。

 イランの西のイラクには、ハーシム家の拠点のクーファがあった。

アッバース革命

 50年、ハーシム家の分家であるアッバース家がイラクのクーファで挙兵。イラン人やシーア派の支持者の支援をうけて、ウマイヤ家を滅ぼす。これがアッバース革命である。

 ウマイヤ家の残党が、ベルベル人を頼って、スペインへ。56年、後ウマイヤ朝を開く。

 一方、中東では、アッバース朝が成立。イラクで新しい都バグダードを建設。これにより、シリアのダマスカスは地方都市に戻った。

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