17世紀前半のシリア・パレスチナ ミレット制

前回の復習 17世紀後半のシリア・パレスチナ

 シリア・パレスチナは、17世紀から19世紀にかけてオスマン帝国の支配されていた。

 17世紀後半、オスマン帝国はハンガリーをめぐり、第2次ウィーン包囲を実施。しかし、これに失敗。オスマン帝国は、衰退期へ向かっていく。

1800年代の国際情勢

 1810年代、日本は江戸時代。徳川家斉の大御所政治の時代。江戸は、化成バブルに湧いた。浮世絵など江戸の文化はこの時期に形成された。

 中国は、清王朝の時代。白蓮教徒の乱やインド産アヘン問題で衰退期に入り始めた。

 ヨーロッパは、ナポレオン戦争が終結して、反動政治が行われていた時代。ラテンアメリカの独立運動やギリシャ独立運動で市民革命の勢いがつき始めた。

vsヴェネツィア

ヴェネツィア共和国

 ヴェネツィアは、イタリア北東部にある都市である。水の都やヴェネツィアングラスで有名である。

 17世紀、イタリアはローマ教皇領と多くの都市共和国に分裂していた。その1つがヴェネツィア共和国である。

 ヴェネツィア共和国は、東方貿易で栄え、14世紀に全盛期を迎えた。

地中海の制海権

 オスマン帝国は、16世紀後半にレパントの海戦に敗北。しかし、翌年には海軍を再編。地中海の制海権を回復した。

 オスマン帝国に独占されたことでヨーロッパの交易の中心は、地中海から大西洋へ写っていく。地中海交易で稼いでいたヴェネツィアは衰退期に入っていく。18世紀末のナポレオン戦争時に、オーストリアの支配下に入る。

フランスとの関係

 16世紀、オスマン帝国は、ハプスブルク家と敵対関係にあった。オーストリア=ハプスブルク家とは、バルカン半島をめぐって争い。スペイン=ハプスブルク家とは、地中海の制海権をめぐり争っていた。

 オスマン帝国は、ハプスブルク家との戦争に備えて、フランスと同盟関係にあった。17世紀もその関係は続いていた。シリアの沿岸部には、フランス商人が多く居住していた。

 また、オスマン皇帝は、フランス国王にエルサレムの聖地管理権を与えていた。この権利は、18世紀末のフランス革命のときまで続いていた。

ミレット制

 オスマン帝国の異教徒政策は、ミレット制に象徴される。

 ミレットとは、宗教共同体を意味し、ギリシャ正教会、アルメニア教会とユダヤ教の3つのミレットが存在した。

 ミレットには、人頭税(シズヤ)の納税義務がある。一方で、自治権が認められていた。