1980年代後半のシリア・パレスチナ レバノン内戦終結

1990年代のシリア・パレスチナ

 1990年代、オスロ合意でパレスチナ問題は解決に向かうと見られていた。しかし、ハマスの台頭やラビン首相の暗殺でこの問題はまだ解決には至らない。

1980年代後半の国際情勢

 1989年は、日本にとっても世界にとっても大転換期である。日本では、平成が始まり、消費税が導入された。経済はバブル経済の真っ只中にあった。

 中国では天安門事件がおこり、ドイツではベルリンの壁が崩壊した。マルタ会談で冷戦が終結したのもこの年である。

レバノン内戦終結

レバノン内戦とは

 レバノン内戦は、レバノン国内のキリスト教勢力とアラブ人勢力による戦争である。シリアとイスラエルの支援を受けたキリスト教勢力が勝利した。

レバノンとは

 レバノンは、地中海に面した中東の国である。北にシリア、南にイスラエルがある。もともとは、シリアの一部であった。フランス植民地時代に、キリスト教徒の多い地域を分離独立させて成立した。

 そのため、人口構成は、多数のキリスト教徒と少数のイスラム教徒で構成されている。政治もキリスト教徒中心で進められた。

2人の首相

 80年代なかば、レバノンの内戦は終結したが、政府機能が停止し、無政府不状態にあった。

 88年、慣例を崩した政府人事が行われていた。これまで、キリスト教徒の大統領とイスラム教徒(スンニ派)の首相で構成されていた。しかし、大統領は、同じキリスト教徒の首相を誕生させた。

 レバノンに強い影響力を持つ、シリアはこれに反発。スンニ派の首相を擁立。2人の首相がいる異常事態が発生した。この2つの政権の主導権争いでレバノン内戦はさらに続く

第1次インティファーダ

 インティファーダとは、パレスチナ人によるイスラエル支配への抵抗運動である。87年と2000年代に行われている。

 抵抗運動は、投石、道路封鎖、納税拒否や不買運動などがある。特に激しかったのはエジプトに近いイスラエル南部のガザ地区であった。イスラエル政府は、これに武力で弾圧した。

 パレスチナ人とユダヤ人の関係が悪化すると、ヨルダンはイスラエルにあるヨルダン川西岸地区を公的に切り離した。これがイスラエルとヨルダンの和平につながる。

 88年、チュニジアにあった亡命政府PLOは、独立を宣言した。

 パレスチナ人とユダヤ人の対立は、91年のオスロ合意まで続く。