現代③ 冷戦期

概要

 ここでは、20世紀後半の歴史を見ていきます。45年の第二次世界大戦の終結から89年のベルリンの壁崩壊を見ていきます。ポイントは2つです。1つ目は、米ソの冷戦である。2つ目は、アジア・アフリカ諸国の独立である。

国際連合の成立と
アジア諸国の独立

 第二次世界大戦が終結すると、戦勝国のアメリカ、ソ連とイギリスは、国際連盟に変わる国際連合を結成した。また、パリ不戦条約に基づいて、反戦国の日本やドイツなどを軍事裁判で裁いた。

 しかし、戦勝国3か国の協調は長くは続かなかった。48年のチェコスロバキアの共産党クーデターをきっかけに東西冷戦が始まった。とくに、ソ連のベルリン封鎖は冷戦を深刻化させた。結果、ドイツは東西に分裂した。

 東西冷戦は、アジアへ飛び火した。内戦中の中華民国は共産党が勝利。共産党の毛沢東が中華人民共和国を建国した。その翌年、朝鮮戦争が勃発した。

 日本軍によって、革命が育成されていた。これにより、東南アジア諸国は次々独立していった。その独立運動の過程でインドシナ戦争が起きた。

 インドは、ヒンズー教徒を中心としたインドとイスラム教徒を中心としたパキスタンに分かれて独立した。

 イランでは、親英政権パフレヴィー朝が続いていた。50年代初頭、改革派のモサデク首相が、油田などのイギリス系企業の国有化を画策して失敗した。

 西アジアでは、イスラエル建国をきっかけに第一次中東戦争が勃発。

米ソ冷戦と西欧・日本の復興

 50年代に入ると、東西冷戦の舞台は東アジアに変わった。朝鮮戦争である。中華人民共和国とアメリカは引き分け、朝鮮半島は南北に分断された。

 朝鮮戦争は、アメリカに危機感を与えた。そのため、日本を独立させた。さらに、アジア・太平洋諸国と軍事同盟を締結した。

 アメリカでは、「赤狩り」が始まった一方で、総力戦となった太平洋戦争を受けて公民権運動が展開された。

 ヨーロッパでは、成長するアメリカに対抗するためにECが結成された。

 ソ連は、スターリンが亡くなると平和外交に変わった。しかし。50年代後半に入ると人工衛星の打ち上げに成功。再び対決姿勢を強めた。これが60年代初頭のキューバ危機につながる。

第三世界の台頭

 50年代は、第三世界が台頭する時代でもあった。そのきっかけも朝鮮戦争である。この戦争で中華人民共和国はアメリカと引き合分けた。イラクのモサデク政権は、油田などのイギリス企業の国有化を発表した。50年代半ばには、平和五原則の発表やアジアアフリカ会議の開催があった。そして、50年代後半の第二次中東戦争が勃発。エジプトは事実上勝利した。これが、60年のアフリカの年につながる。

 ここで中東戦争についてまとめる。中東戦争は、40年代から70年代にかけて、計4回行われた戦争である。エジプトを中心としたアラブ諸国とイスラエルの戦争である。

  • 40年代後半の第一次中東戦争
    • きっかけ イスラエルの建国
    • 結果 イスラエルの勝利
    • 影響 エジプト革命でナセル政権へ
  • 50年代の第二次中東戦争
    • きっかけ スエズ運河の国有化
    • 結果 国際世論を受けてエジプトが勝利
    • 影響 アフリカの年で多くの国が独立
  • 60年代の第三次中東戦争
    • 結果 イスラエルの勝利
    • 影響 ナセル大統領が失脚
  • 70年代の第四次中東戦争
    • 結果 石油危機によってエジプトが勝利
    • 影響 エジプト=イスラエル平和条約へ

 アフリカでは、アルジェリアの独立運動が始まる。イギリスとフランスが第二次中東戦争に敗れると60年に多くの独立を認める。これがアフリカの年である。

 中南米では、反米国家が次々誕生した。その中の一つに、キューバがあった。ソ連がこれを支援。核戦争の一歩手前まで行った。これがキューバ危機である。

 キューバ危機後の60年代、軍縮が進んだ。アメリカでは公民権運動をうけて、公民権法が制定された。東欧では、「プラハの春」が起きた。

 ヨーロッパでは、70年代に入ると西ドイツの東方外交が行われた。これにより、東西ドイツは国際連合に加盟した。

 中国は、大躍進政策の失敗で毛沢東が失脚した。ソ連のスターリン批判で中ソは対立するようになった。学生を中心にプロレタリア文化大革命が起こり、毛沢東を中心とした政治になった。毛沢東が亡くなると鄧小平を中心とした政権へ移行。市場経済を利用した経済政策がすすめられた。

 インドシナ戦争で南北に分断されたベトナムでは、60年代にベトナム戦争へ入った。この戦争は、泥沼化しアメリカでは反戦運動が起こった。70年代に入ると、中ソ対立したの中国に接近。

 アジアでは、独裁政権が工業化を進めた。この政権は開発独裁と呼ばれた。

石油危機

 70年代、第四次中東戦争をきっかけに第一次オイルショックが起こった。これにより西側陣営の経済成長は急速に鈍化した。これをきっかけにサミットが始まった。

 アジアの開発独裁国家を中心に、新興工業経済地域(NIEs)が登場した。一方で、アメリカの貿易赤字が問題視された。

 原発事故や公害によって、環境問題が注目されるようになった。

 80年代に入ると、レーガン大統領などによって、国有企業の民営化がすすめられた。日本では、NTTやJRなどが誕生した。

 80年代以降、中東では多くの戦争が起こった。イラン革命、イランイラク戦争、そして湾岸戦争である。

 ソ連は、アフガニスタンへ侵攻。これをきっかけに米ソ関係は再び悪化した。これは新冷戦呼ばれた。しかし、89年のマルタ協定で和解。チェコスロバキアのクーデターで始まった冷戦はここに終結した。