石油危機(1970年代から 1980年代)

(前史)19世紀後半のヨーロッパ

高度成長から安定成長

ニクソンショックと変動相場制

 70年代のアメリカは、双子の赤字に苦しんでいた。財政赤字と国際収支のかか時である。要因は、3つある。ベトナム戦争、社会保障費の増大、そして日本・西ドイツの台頭である。

 68年アメリカ大統領選挙で政権交代。共和党のニクソン大統領が登場。翌69年、ベトナム戦争からアメリカ兵を引き上げた。

 71年、貿易収支が赤字に。ニクソン大統領は、金とドルの兌換を停止し、45年に始まったブレトンウッズ体制は崩壊した。73年に変動相場制へ移行した。

第4次中東戦争とオイルショック

 73年、第四次中東戦争が勃発。中東諸国は経済制裁として石油の輸出を制限した。これがオイルショックの原因であった。これにより。先進諸国は低成長時代へ入った。フランスは、これを打開するために、75年にサミットを開催した。

イラン革命

 76年アメリカ大統領選挙で政権交代。民主党カーター大統領が誕生した。

 77年、パナマ運河返還を決定。

 79年1月、宗教指導者ホメイニ師が親米のパフレヴィー朝を倒す。イラン革命である。これをきっかけに第二次世界大戦が起こる。

 同79年3月、エジプトとイスラエルの中東和平が合意。

 79年12月、イラン革命はアフガニスタンへ飛び火。これを阻止するために、ソ連がアフガニスタンへ侵攻新冷戦の始まりである。

NIEs アジアの工業化

NIEs

 ニクソンショックで、日本は円高に。多くの企業がアジアの生産拠点を低賃金の途上国へ移した。移転先は、韓国や東南アジア諸国、中南米であった。これらの国はNIES(新興工業経済地域)とよばれ、70年代から80年代にかけて高い西ちょつ率を実現した。

日米貿易摩擦

 低成長の先進国では、コンピューターなどのハイテク産業(先端技術産業)へ特化していった。このハイテク競争が90年代のIT革命につながる。

 また、80年代のレーガン政権の時代に入ると、日米貿易摩擦が問題視された。85年のプラザ合意で円高が促進。海外への工場移転が促進され、日本は円高不況になった。

社会変容と環境破壊

女性の社会進出

 60年代の公民権運動は、70年代の女性解放運動につながった。

 79年の国際連合総会で女性差別撤廃条約が締結された。

 日本はこれを受けて、85年に男女雇用機会均等法が制定された。

公害と環境汚染

 70年代に入ると、環境汚染の問題が指摘されるようになった。日本でも公害問題が表面化していた。

 72年、国連人間環境会議を開催。UNEP(国連環境計画)の設置が決まった。

チェルノブイリ原発事故

79年、アメリカのスリーマイル島原発事故

86年、ソ連のチェルノブイリ原発事故

11年、日本の福島第一原子力発電所事故(東日本大震災)

小さな政府

 このころ、先進国では社会保障費の増大による財政の肥大化が問題になった。80年アメリカ大統領選挙で政権交代。共和党のレーガン大統領が誕生した。

 行政改革で政府支出を削減した。

 イギリスのサッチャー首相、日本の中曽根首相、西ドイツのコール首相はこれに追随した。

 この時代の政策の特徴では、減税と行政改革による小さな政府。外交では、強硬外交をとる中道右派政権が特徴であっる。これにより、新冷戦は激化した。

中東

 79年、イラン革命でイランに反米政権が成立。

 80年、イラン=イラク戦争が勃発。アメリカやソ連はひそかにイラクを支援した。

 90年、イラクのフセイン大統領がクウェート侵攻。翌90年アメリカなどの多国籍軍がクウェート救助のために多国籍軍を結成。湾岸戦争に発展した。

新冷戦

新冷戦

 80年代のレーガン政権は強硬外交を進めた。80年のソ連のアフガニスタン侵攻で新冷戦が勃発。レーガン大統領は、軍拡を進めた。

チェルノブイリ原発事故とペレストロイカ

 85年、ソ連でチェルノブイリ原発事故。この年に書記長に就任したゴルバチョフ書記長がこれに対応。

 グラスノスチ(情報公開)による言論の自由とペレストロイカ(国内改革)を断行した。

冷戦終結

 85年11月、米ソ首脳会談。戦略核兵器50%削減。

 87年、INF(中距離核戦力)全廃を合意。

 89年、ソ連がアフガニスタン撤退を発表。12月のマルタ会談で冷戦終結を宣言。

 91年、START(戦略核兵器削減交渉)が妥結