近代は、イギリス、フランスなどが先進国として台頭するとともに、アメリカ、ドイツやイタリアが成立した時代である。ヨーロッパが強国になったのもこの時代である。
この時代は、16世紀から1880年代までである。日本史でいば、戦国時代から明治前半の時代である。織田信長や豊臣秀吉の時代から、
近代の論点
世界の一体化
近代の特徴の1つは、「世界の一体化」である。中世以前も東西の交流は盛んであった。しかし、中世までの東西交流との違いは、以下の2点である。
- アメリカ大陸の登場
- 交易の恒常化
これにより、「世界の一体化」は一層進んだ。
世界を駆け巡る物品
この時代、ヨーロッパ商人と現地の政権や商人との交流が重要になった。時には、良好な関係を築きライバルを蹴落とす道具に使った。一方で、両者間の抗争も激しかった。
また、16世紀に多くの銀鉱山が発見された。南米のポトシ銀山や日本の石見銀山はその一例である。これにより、貨幣経済は一層進んだ。
軍事面では、騎馬や弓を使った戦争から、火縄銃(鉄砲)や大砲を使った先頭に変わった。これにより、特殊な訓練を受けなくても十分な戦闘力を持つようになった。一方でこれらの武具は高価であるため、戦争には大量な資金が必要になった。
また、アメリカ大陸との交流によって、アメリカ産の農産物がヨーロッパにもたらせた。トウモロコシ、サツマイモ、ジャガイモやトマトなどである。これにより、ヨーロッパの食生活は大きく変わった。
主権国家の誕生
交易は莫大な利益をもたらした。それは、1国の経済が賄えるほどであった。莫大な利益をめぐり、国家同士の戦いが激化した。英仏植民地戦争はその一つであった。
国家同士の戦いの激化は、国家の結束力を高めた。これにより、封建制社会から主権国家体制へ移行していった。主権国家体制の代表格が絶対王政である。
ヨーロッパとアジア
近代は、アジアとヨーロッパの力関係が大きく逆転した時代でもあった。
16世紀、ヨーロッパが植民地にできたのはアメリカとアフリカくらいであった。アジアの大国と戦えるほどの力はなく、アジアの交易圏に参加する程度であった。
しかし、19世紀に入ると、ヨーロッパ諸国はアジアまで植民地の対象にしていった。その代表がイギリス領インド帝国の成立である。
近代化とは
現代文のテーマで近代化というものがある。そのモデルは19世紀後半のヨーロッパである。
中世の封建社会から、政治・経済・宗教や文化が大きく変わった。その変化と原因を見ていきます。
近代化を見ていくうえのキーワードは自由主義がある。近代は様々な自由を獲得していく時代であった。しかし、自由主義が進むと弱肉強食の時代になっていた。このあとの現代では、弱者の救済を検討していく時代になっていく。
異文化との接触
「世界の一体化」によって、多くの異文化と交流することが多かった。異文化との接触は、多くの文化が大きく影響を受けた。
教科書の流れ
アジア諸地域の繁栄
近代の前半は、アジアのほうが圧倒的に力を持っていた。17世紀には、4大帝国が成立した。オスマン帝国(トルコ)、サファヴィー朝(イラン)、ムガル帝国(インド)と清王朝(中国)である。14世紀のモンゴル帝国の衰退から17世紀の全盛期までを見ていきます。
大航海時代
ここから4章かけて近代ヨーロッパを見ていきます。最初は16世紀のヨーロッパを見ていきます。ここでは、4つのキーワードがあります。大航海時代、ルネサンス、宗教改革そして主権国家である。
絶対王政
ここでは、17世紀から18世紀前半のヨーロッパを見ていきます。前半では、ヨーロッパの内政を見ていきます。後半では、ヨーロッパの植民地政策の様子を見ていきます。
革命の時代
ここでは、18世紀後半の3つの革命を見ていきます。産業革命、アメリカ独立戦争とフランス革命である。
ドイツ・イタリアの統一
19世紀のヨーロッパの歴史を見ていきます。フランス革命が終結すると、絶対王政に戻そうとした。しかし、それは不可能であった。市民革命が頻発。多くの国で絶対王政が終結した。
19世紀後半に入ると、イタリアやドイツが統一された。
植民地化されるアジア
話をヨーロッパからアジアへ戻す。17世紀の4大帝国がヨーロッパ諸国の植民地化の過程を見ていきます。