絶対王政時の文化

(前史)ルネサンス

 ルネサンスは、14世紀のイタリアで始まった。16世紀にはヨーロッパ全体に広がっていった。キリスト教の衰退で宗教色が薄くなっていた。一方で、十字軍や大航海時代で異国の文化が流入した。

 今回は、ルネサンスの後のヨーロッパの文化を見ていきます。

科学革命と近代的世界観

自然科学

ルネサンスの影響

 ルネサンスによって、ギリシャ・ローマ時代の自然科学の研究が翻訳。ここから自然科学の研究が一気に進み始める。

ガリレイ(17世紀前半)

 17世紀の自然科学のテーマは天動説と地動説である。17世紀初頭、イタリアの天文学者ガリレイが地動説を主張。宗教裁判で異端とされた。ガリレイは望遠鏡の製作でも実績を上げた。ドイツの天文学者ケプラーは惑星の運行法則を発見。近代天文学の基礎を築いた。イギリスの医学者ハ―ヴェーは、血液の循環を発見した。

ニュートン(17世紀後半)

 17世紀半ば、地動説の最大の欠点であった人間がさかさまになっても落ちない理由が解明された。これがニュートンの万有引力の法則である。ニュートンはイギリスの物理学者である。リンゴが落ちる様子を見て万有引力の法則を発見した。ニュートンは多くの受験生を悩ませた微積分法を創設した。

 このほかに、イギリスの物理学者ボイルは、機体力学の研究の基礎を気付いた。オランダの物理学者ホイヘンスは光が波動であることを唱えた。

18世紀

 スウェーデンの生物学者リンネは、動植物の分類を行った。フランスの科学者ラヴォワジェは、燃焼理論を明らかにした。イギリスの医学者ジェンナーは種痘法を発見した。フランスの数学者ラプラスが活躍したのもこの時代。アメリカのフランクリンは避雷針を発明。ちなみに、フランクリンは政治家としても活躍。のちにアメリカ大統領になっている。

哲学

経験論(帰納法)

 様々な経験から一つの真理(法則)を導く考え方。17世紀のイングランドで研究された。その第一人者がベーコンである。ベーコンは、国王ジェームス1世の側近で、ホップスやロックに影響を与えた。著書には『シンオルガヌム』がある。

合理論(演繹法)

 合理論とは、一つの真理(法則)から事例を予測する考え方である。17世紀のオランダ、フランス、ドイツで研究された。

 合理論の先駆者は、オランダのデカルトである。デカルトは、17世紀前半の哲学者で、三十年戦争に従軍。『方法序説』を記した。「われ思う、ゆえにわれあり」の一文があまりにも有名である。

 17世紀後半になると、オランダのスピノザとフランスのパスカルが登場。18世紀に入ると、ドイツのライプニッツが登場した。 

自然法思想

 17世紀のイングランドでは、政治学や法学の研究も盛んになった。

 その前提となったが、17世紀前半のオランダの法学者グロティウスである。グロティウスは、『戦争と平和の法』で国際法の重要性を提唱。ウェストファリア条約に大きな影響を与えた。

 17世紀半ばのイングランドは、ピューリタン革命の最中であった。この時期に、ホップスは『リヴァイアサン』を発表した。

 17世紀後半のイングランドは、名誉革命の最中であった。この時期に、ロックが『統治二論』を発表した。

ドイツ観念論

 ドイツ観念論は、18世紀末のドイツで研究された哲学である。カントが『純粋理性批判』でまとめた。ドイツ観念論は経験論と合理論を批判的に統合した。

啓蒙思想

政治学

 18世紀に入ると政治学の研究の中心は、イングランドからフランスに移る。当時のフランスは、ルイ14世の絶対王政期。貴族は政治の中枢から外されていた。18世紀に入るとフランスの敗戦が続き、ルイ14世への批判も高まった。そのような中で絵研究が進んだ。これらの政治学の思想は、18世紀末のフランス革命に大きな影響を与えた。

 フランスの政治学の先駆者は、18世紀前半のモンテスキューである。彼は、『法の精神』で三権分立を唱えた。当時停止されていた三部会(国会)や高等法院(裁判所)の復活を求めた。

 同じ頃、ヴォルテールが『哲学書簡』で信仰言論の自由を求めた。17世紀末に廃止されたナントの王令の復活を求めた。

 18世紀半ば、ルソーの『社会契約論』の中で、絶対王政を否定し、人民主権(国民主権)の実現を目指した。これがアメリカ独立戦争やフランス革命に結び付いた。

 18世紀後半、ディドロやダランベールらが『百科全書』で啓蒙思想をまとめた。多くの君主がこれに影響を受けた。彼らは啓蒙専制君主と呼ばれた。プロイセンのフリードリヒ2世がその代表例である。

経済学

 絶対王政の時代に入り、国家財政は膨大になった。そのため、経済学の研究が大いに進んだ。

 16世紀の大航海時代は、重金主義で金銀の保有量が重要と考えられていた。そのため、鉱山開発が大いに進んだ。

 17世紀に入ると、多くの鉱山が枯渇し始める。それにより、経済政策は転換。貿易差額主義(重商主義)の時代へ入っていく。貿易差額主義とは、貿易を規制し、輸出を増やし、輸入を減らして貿易黒字を増やすべきという考え方である。

 18世紀にはいり、貿易差額主義への批判が始まる。18世紀半ばのフランスでは、ケネーが『経済表』を発表。富の源泉は、農業(土地)にあるとした。その観点から自由な経済活動を求めた。

 18世紀後半のイギリスでは、アダム=スミスが登場。アダム=スミスは、『諸国民の富』の中で、経済は神の見えざる手(市場原理)にゆだねるべきと主張した。彼は、古典派経済学を構築した。

宮廷文化

バロック美術

 17世紀、君主たちは、自らの権威を内外に示すため、豪壮華麗な建築物を建てた。これがバロック美術である。

 その代表例が、ルイ14世のヴェルサイユ宮殿(フランス)である。

ロココ美術

シノワズリ 

庶民文化

市民文化の形成

消費生活の変化

イギリス文学

17世紀

 17世紀半ばの清教徒

18世紀前半

 デフォーの『ロビンソン=クルーソー』。スウィフトの『ガリヴァー旅行記』

 新聞の発行が始まり、世論の形成が始まる。

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