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インド史

16世紀後半のインド インド版織田信長 ムガル帝国

北インドの統一

  56年、北インドムガル帝国でアクバル帝が誕生した。 アクバル帝が即位したとき、ムガル帝国はデリーの一地方政権に過ぎなかった。しかし、アクバル帝は遠征を繰り返し、ベンガルバングラデシュ)、北インドパキスタン、アフガンを治めるインド帝国になった。

 ちなみに、インド全域を統一したのは、約100年後のアウラングゼーブ帝のころである。

内政面では検地を実施

 アクバル帝は、軍事だけでなく内政面であも結果を残した。支配層を組織化し、官位制度を導入した。(マンサブダール制)。アクバル帝は中央集権的な政治を行った。一方で、検地を行った。新首都アグラを建設。デリーから遷都した。

寛容な宗教政策

ムガル帝国は、イスラム教の国である。しかし、インド人の多数はヒンドゥー教を信仰していた。そのため、アクバル帝は民衆の支持を得るためヒンドゥー教にやさしい政治をとった。

 アクバル帝は、ヒンドゥー教の女性を后にむかえた。また、異教徒のみにかけていたシズヤ(人頭税)を廃止した。
 これにより、イスラム教とインド古来の文化が融合。インド=イスラム文化がとうじょうした。ペルシアから伝来した細密画(ミニチュアール)をベースにしたムガル絵画はその一例である。

16世紀は宗教改革の世紀である

 

インドで、アクバルがヒンドゥー教イスラム教の融合を進めていたころ。日本では、織田信長宗教改革を行っていた。キリスト教の布教を認める一方で、延暦寺の焼き討ちを行った。

 またヨーロッパでは16世紀の初頭にルターが「九十五か条の論題」を発表した。

作成者: sekaishiotaku

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