16世紀のペルシア ペルシア版織田信長 サファヴィー朝アッバース1世

サファヴィー朝とは

 サファヴィー朝とは、16世紀初めにイラン北西部で成立したサファヴィー教団が建国した国である。現在のイランと同じシーア派(十二イマーム派)を国教とした。そのため、スンニ派のオスマン帝国(トルコ)やムガル帝国(インド)との抗争は絶えなかった。

軍事改革

 87年、アッバース朝の後継者争いを制して、アッバース1世が即位した。
 アッバース1世は、国王に即位すると軍事改革に当たった。特権階級のトルコ系騎兵軍団キジルバシュを弾圧した。これに抵抗するため、軍人奴隷を中心とした常備軍を整備した。
 この背景には、キジルバシュがオスマン帝国の常備軍イエニチェリに敗北したことにある。イエニチェリとは、キリスト教から改宗した常備軍で当時の最新兵器鉄砲を使用した。

イスファハーンは世界の半分

 アッバース1世は、新首都を建設した。これがイスファハーンである。アッバース1世は貿易を奨励。これにより、「イスファハーンは世界の半分」とよばれる大都市となった。

新興勢力イギリスとの支援

 アッバース1世の時代、イラク(バグダード)はオスマン帝国に奪われ、ペルシャ湾の要所ホラズム海峡はポルトガㇽが占領していた。

 アッバース1世はイギリス、オランダ、フランスとの同盟関係を結んだ。アッバース1世は、これらの国から最新壁っ鉄砲を輸入するとともに、貿易を奨励した。これらの国は、16世紀後半からアジアへ進出してきた国々である。

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