1980年代後半のアメリカ ブッシュ大統領と冷戦終結

1980年代後半、日本はバブル景気の中、昭和が終わり平成の時代へ入った。

 そのころのアメリカの大統領は共和党のレーガンとブッシュであった。80年代後半に入ると、ソ連は冷戦を継続する力が亡くなった。89年12月のマルタ会談で冷戦はしゅうけつした。

共和党 ブッシュ大統領 冷戦を終結

レーガン大統領の政策を引き継ぐ

 88年の大統領選挙に勝利。翌89年に大統領になる。

冷戦の終結

 40年代から始まった冷戦は、80年ソ連アフガニスタン侵攻でさらに強まった。しかし、米ソはその後明暗がくっきり分かれた。ソ連は、経済的に困窮。さらにチェルノブイリ原発事故で国民の支持を失う。これにより国家の維持が危うくなった。一方、アメリカは70年代の不況を乗り越え、レーガノミクスの成功で最高潮に達していた。

 89年、東欧革命が勃発。89年11月にはベルリンの壁が崩壊した。

 ベルリンの壁が崩壊した翌12月、アメリカのブッシュ大統領とソ連のゴルバチョフ書記長が会談。冷戦は終結した。

パナマ侵攻

 パナマは、中米の国でありパナマ運河が流れている。このパナマ運河はアメリカの領土であった。70年代の民主党カーター大統領は99年にパナマへ返還することを約束していた。

 80年初頭、パナマで反米政権であるノエリガ大統領が就任した。レーガン大統領は、中米ニカラグア内戦があるのでこれを黙認していた。

 しかし、ニカラグア内戦が終結。パナマへ侵攻。ノエリガ政権の打倒に成功した。アメリカ軍は99年パナマ運河返還時に撤兵した。

共和党 レーガン大統領

ソウルオリンピック

 88年、韓国のソウルでオリンピックが開催された。競泳の鈴木大地選手や陸上のカールルイスが登場したオリンピックである。

 このオリンピックは政治面でも重要なオリンピックであった。80年のモスクワオリンピックではアメリカなどの西側陣営がボイコット、84年のロサンゼルスオリンピックではソ連などの東側陣営がボイコットした。米ソが同じ大会に参加するのは12年ぶりの出来事となった。

ブラックマンデーとイランイラク戦争

 80年代、中東ではイラン=イラク戦争が展開されていた。レーガン大統領は、イラクを支援している。87年、イラン軍がアメリカのタンカーを攻撃。アメリカ軍は報復としてイランの油田を攻撃した。

 この事件により、石油価格の高騰懸念が予測された。過去2回の石油危機を経験したアメリカの投資家はパニックになった。87年10月、アメリカ株が急落した。これがブラックマンデーである。背景には、レーガノミクスで株価が高値圏にあったことが挙げられる。ブラックマンデーは、幸い一時的な下げにとどまり、世界恐慌にはつながらなかった。

 イラン=イラク戦争は、88年イランのホメイニ師が亡くなると終結した。

米ソ首脳会談

 85年、ソ連でゴルバチョフ書記長が登場した。当時のソ連は、アフガニスタン侵攻で国際的に孤立していた。そのため、経済的に困窮していた。

 そのため、ゴルバチョフ書記長は対話路線に変更した。これを「新思考外交」という。85年11月、スイスのジュネーヴで米ソ首脳会談が行われた。目的はアフガニスタン侵攻と軍縮である。

 翌86年4月、ソ連でチェルノブイリ原発事故が発生。さらにソ連は混乱した。同86年10月、米ソは再び首脳会談を行った。場所はアメリカのレイキャビックである。その結果、翌87年INF(中距離核兵器)全廃条約が締結された。

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