1930年代のソ連(ロシア) スターリン書記長と世界恐慌の影響を受けないソ連

 1930年代、世界恐慌の真っただ中にあった。しかし、社会主義国になったソ連世界恐慌の影響を受けなかった。

 ソ連(ソヴィエト連邦)は、1910年代(第一次世界大戦期)にロシア革命で誕生した社会主義国である。1991年、冷戦の終結とともに崩壊した。社会主義国とは、会社のような私有企業を排除し、すべて国有企業にし、給料は国家が決める経済構造の国である。

 世界恐慌による失業率の増大、普通選挙(納税額によらない議会選挙)による労働者の増大は、各国共産党を躍進させた。これは時の政権にとって厄介な存在となった。
 これに対し、ソ連は、これら各国共産党との連携を深めた。

世界恐慌とソ連

 世界恐慌は、29年10月アメリカの株価大暴落によって始まった。世界恐慌の詳細については今回のシリーズの最終章アメリカ編でやっていきます。アメリカは、世界各国から資金を引き揚げた。これによりアメリカの株価暴落は世界へ波及した。

 しかし、ソ連は世界恐慌の影響を受けず、28年からの第一次5か年計画を達成した。その理由は、共産主義国になっていたので、ソ連にはアメリカ資本が入っていなかったためである。

世界各国で共産党が躍進

ソ連、国際連盟に加盟

 このソ連の躍進は、失業に苦しむ労働者にとって羨望の的であった。そのため、世界各国で共産党が躍進した。

 34年、ソ連は国際連盟に加盟した。その理由は、前年の33年、日本とドイツが国際連盟から離脱したからである。ちなみに、これを支援したのはフランスであった。

 35年、スターリン書記長はコミンテルン第7回大会を開催した。

フランス、共産党が連立与党入り

 当時、ソ連と一番親交が深かった国はフランスであった。フランスは、34年のソ連の国際連盟加盟に尽力を尽くした。翌35年には、仏ソ相互援助条約を締結した。36年には、社会党を中心とした人民戦線内閣が成立。ソ連が支援する共産党も連立内閣に入った。

ドイツ、ナチスvs共産党

 世界恐慌の一番影響を受けた国は、ドイツである。20年代、アメリカ資本の投入でようやく経済が安定した。しかし、その直後に起きたのが、世界恐慌である。アメリカ資本の引き上げで、大混乱を受けた。さらに、イギリスとフランスがブロック経済政策を行ったことで世界市場から完全に締め出された。

 そのような中、ドイツでは2つの政党が躍進した。共産党とナチ党である。ナチ党は、ヒトラーが率いる社会主義政党である。ビックバン(高速道路)の整備などの公共事業の拡大により経済を成長させようとしていた。イギリスは、共産党を警戒して、ナチ党を支援した。一方で、ソ連は共産党を支援した。

 32年、ナチ党が第一党になる。翌33年1月ナチ党のヒトラーが首相となった。フランスは、ナチ党を警戒してソ連に急接近した。これが34年の国際連盟加盟につながる。

 33年2月、ヒトラーは、国会議事堂放火事件を利用して共産党を一斉検挙。これにより、ナチ党の一党独裁が確立された。33年3月、全権委任法を制定し、ヒトラー総統の基盤を作った。同じ年、ドイツは国際連盟を脱退。翌34年ヒトラー総統が誕生した。

ソ連 VS ナチスドイツ スペイン内戦

 フランスが警戒した通り、ナチスドイツは再軍備をはじめ、ラインラントへ進駐した。

 そのような中、スペインで内戦が勃発した。スペインは36年1月の総選挙で社会党を中心とした人民戦線内閣が成立した。コミンテルンに参加するスペイン共産党もこれに参加した。7月、スペイン軍部、フランコ将軍がクーデターを宣言。スペインは内戦状態になった。ナチスドイツ(ヒトラー)は、このフランコ将軍を支援した。一方で、ソ連は人民戦線内閣を支援した。このとき、イギリス・フランスは中立の立場をとった。

 翌37年、フランコ将軍を支援するドイツ(ヒトラー)とイタリア(ムッソリーニ)は、同様にソ連を警戒する日本と同盟を結んだ。日独伊三国防共協定である。

独ソ、ポーランド分割

 39年、スペイン内戦がフランコ将軍の勝利で終結すると、突如、独ソ不可侵条約が締結された。ナチスドイツとソ連(スターリン)は、ポーランド分割を開始した。これにより第二次世界大戦は勃発した。

コメント

タイトルとURLをコピーしました