14世紀、日本では鎌倉幕府が滅亡し、南北朝の動乱期に入った。世界各地で自然災害や疫病が多発した。その代表例が
中国は、モンゴル民族の元王朝が支配していた。しかし、中国南部で漢民族が反乱。漢民族の明王朝が成立した。
元王朝の衰退
モンゴル系の元王朝も、海外遠征やチベット寺院の建設で財政難にあった。日本では徳政令で乗り切ろうとしたが、元王朝は紙幣を乱発して財政難を乗り切ろうとした。その結果、疫病や飢饉の影響もあいまって中国で物価高が進み、民衆の不満が高まった。
51年、仏教系の宗教結社白蓮教が蜂起した。紅巾の乱である。ちなみに18世紀末にもこの白蓮教は、白蓮教徒の乱を引き起こす。この反乱に参加したものの中には、科挙がなくなったことで生活が困窮したものも多く参加した。
漢民族の王朝、明王朝
68年、漢民族の王朝が復活した。明王朝である。明は江南の南京に都をおいた。初代皇帝は洪武帝(朱元璋)である。洪武帝は紅巾の乱で活躍した科挙を目指していた貧農であった。明王朝は宋王朝の政治体制に戻し、科挙の復活と律令制を引いた。また、安定的な税収を求め戸籍の整備や六諭の提示を行った。また、皇帝の権限を高めるため、中書省を廃止した。明は、儒学朱子学を重んじ民間の商業活動に否定的であった。貿易ではモンゴルとは逆に民間の海上交易を禁止した。また、洪武帝はかつての味方を次々粛清させ、自分の子どもを国境警備にあたらせた。
北京の反乱(靖難の役)
14世紀末には、日本は足利義満が南北朝を統一。一方で、元に服属していた朝鮮半島の高麗も、李氏朝鮮に代わった。
一方で、明王朝は、洪武帝の後、孫の建文帝が即位。クーデター防止のため、叔父たちを粛正していった。それに危機感を覚えた中国東北部北京周辺を統治していた永楽帝がクーデターを起こした。靖難の役である。
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