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トルコ・ギリシャ史

15世紀のオスマン帝国 ビザンツ帝国を滅ぼす

15世紀、日本は室町時代。京都に金閣寺や銀閣寺が建立された。また、応仁の乱で京都中心部は戦火につつまれた。これにより戦国時代が始まる。

これまでのオスマン帝国

 16世紀、オスマン帝国は全盛期を迎えた。16世紀半ばのスレイマン1世の時代には、北アフリカやバルカン半島全域(東欧南部)、イラク(バグダード)などを版図に加えた。

ヴェネツィアとの戦い

 ヴェネツィアは、イタリア北東部の都市でその由来は6世紀のランゴバルド王国につながる。12世紀の十字軍の時代に都市共和国となり、14世紀に最盛期を迎えた。

 オスマン帝国がバルカン半島を征服すると、ヴェネツィアと国教を接するようになった。ここにオスマン帝国をヴェネツィアの戦いが始まった。 

黒海への進出

 トルコの北には、黒海が存在する。17世紀から19世紀にかけてこの海をめぐって、オスマン帝国とロシア帝国は争っていた。15世紀、黒海の北部とロシアは、モンゴル騎馬民族国家キプチャクハン国が存在していた。

 キプチャクハン国は、14世紀末にリトアニアやティムールの攻撃を受けて衰退方向へ向かった。15世紀に入ると、黒海北岸でクリムハン国が独立した。15世紀後半に入るとモスクワ大公国も独立した。

 15世紀後半、バルカン半島を征服したオスマン帝国はクリムハン国を併合。黒海沿岸をすべて支配するようになった。

バルカン半島への進出

 バルカン半島は、ヨーロッパ東南部にある地中海へ突き出した半島である。バルカン半島には南スラブ人が生活し、彼らはビザンツ帝国と同じ東方正教会を信仰していた。

 14世紀半ば、ビザンツ帝国を滅ぼすとバルカン半島へ進出し、征服した。

 オスマン帝国は、征服地を騎士(シパーヒー)に徴税権(ティマール)を与えて統治させた。一方で、征服地の人々に宗教の自由と自治権を与えた。これをミレットという。しかし、多くの人々がイタリアへ避難した。これがイタリアのルネサンスにつながった。

 オスマン帝国は、征服地の少年を徴兵し、皇帝の親衛隊を作った。イェニチェリ(新しい兵)である。イエニチェリは最新兵器鉄砲を装備させた。彼らは、16世紀初頭のサファヴィー朝イランの騎馬隊を破った。

コンスタンチノーブル陥落

 14世紀半ばになると、オスマン帝国は息を吹き返した。44年にはバルカン半島へ侵攻。ハンガリー・ポーランド連合軍を破った。その後、ビザンツ帝国の都コンスタンチノーブルを包囲した。

 53年、オスマン帝国は、コンスタンチノーブルを陥落させた。これにより千年以上続いたローマ帝国の歴史はここに幕を閉じた。ちなみに、同じ年、英仏百年戦争も終結した。

ティムール朝に大敗

 14世紀末、オスマン帝国はコンスタンチノーブルを包囲した。しかし、陥落させることはできなかった。東(イラン)から新たな敵が現れたからである。ティムールである。

 オスマン帝国は02年のアンカラの戦いでティムール軍に大敗。国家存亡の危機に陥った。しかし、ティムールはまもなく病死。ティムール朝イランは急速に衰退した。これにオスマン帝国は滅亡することはなかったが、トルコ東部を奪われた。これを奪還するのは、16世紀半ばのスレイマン1世の時代である。

作成者: sekaishiotaku

初めまして、sekaishiotakuです。世界史好きの一般会社員です。よろしくお願いいたします。

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