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トルコ・ギリシャ史

5世紀の東ローマ帝国 分裂後のローマ帝国

6世紀ユスティアヌス帝が地中海を再統一した。今回はユスティアヌス帝が登場する前の東ローマ帝国を見ていきます。

東ローマ帝国

 4世紀末、ローマ帝国は東西に分裂し兄弟で分割統治することになった。兄は、東ローマ帝国を引き継いただ。

キリスト教政策

4世紀にキリスト教が公認されて以降、キリスト教義を決めるため、何度も公会議が開かれた。

 5世紀にはネストリウス派などが異端とされた。6世紀に入ると、異端とされた協議を信仰する人々は迫害されるようになった。

エフェソス公会議

 ネストリウス派を異端とする。ネストリウス派は、ササン朝へ亡命。イランなどアジア各地で布教を行う。唐の長安にはネストリウス派の教会も建てられた。

カルケドン公会議

 キリスト単性説を異端とした。

このころイタリアは

東ゴート王国

 東ゴート族は、オドアケルを暗殺。東ゴート王国を建国した。東ゴート王国は、東ローマ帝国のユスティアヌス帝によって、6世紀に滅亡する。

オドアケル

 西ローマ帝国の傭兵隊長であったオドアケルは、西ローマ帝国を滅ぼした。

西ゴート王国

 最初にイタリアへ侵入したのは西ゴート族であった。西ゴート族はローマへ侵入。ローマ皇帝は、イタリア半島の東側ラヴェンナに遷都した。このあと、イタリアの中心としたはラヴェンナとなった。

 このころ、西ローマ帝国は、先住民(ブリトン人)によってイギリスから撤退。北アフリカも、ゲルマン系ヴァンダル人に奪われた。

西ローマ帝国

 4世紀末、ローマ帝国は再び統一した。2つのローマ帝国は兄弟がそれぞれ引き継いだ。弟が引き継いだのがかつての都ローマを中心とした西ローマ帝国であった。

作成者: sekaishiotaku

初めまして、sekaishiotakuです。世界史好きの一般会社員です。よろしくお願いいたします。

「5世紀の東ローマ帝国 分裂後のローマ帝国」への1件の返信

4世紀のローマ帝国 コンスタンチノーブル遷都 – 10年100年単位でみる世界史 へ返信する コメントをキャンセル

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