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トルコ・ギリシャ史

12世紀のビザンツ帝国 セルジューク=トルコ

 12世紀、ビザンツ帝国は衰退傾向になった。その理由は11世紀末にセルジューク=トルコに小アジアを奪われたことである。その後のビザンツ帝国は、ノルマン人(両シチリア王国)の侵攻やブルガリア王国の反乱でさらに領土を縮小させた。

ビザンツ帝国

ブルガリア王国の復活

 11世紀、ビザンツ帝国はバルカン半島のブルガリア王国を併合した。ビザンツ帝国はブルガリア王国に重税をかけた。そのため反乱が頻発した。12世紀後半、反乱を抑える余力がなくなりブルガリアの再独立を容認した。

小アジアの奪還

 11世紀、ビザンツ帝国は、セルジューク朝トルコに小アジアの大部分を奪われた。しかし、12世紀に入ると、セルジューク朝トルコが分裂。小アジアの一部を奪還した。

南イタリア遠征

 11世紀半ば、ノルマン人が南イタリアをアラブ人から奪還した。12世紀に入り、ローマ教皇はノルマン人を両シチリア王国(南イタリア)の王と認めた。

 12世紀半ばに入ると、ギリシャや南イタリアをめぐり両シチリア王国(ノルマン人)とビザンツ帝国が争うようになった。同じ頃、第2回十字軍が展開されていて、第2回十字軍の失敗の要因の一つと考えられた。

 12世紀後半、北アフリカをイスラム教のムワッヒド朝(スペイン)に奪われる。12世紀末、ノルマン朝が断絶すると第3回十字軍に参加した神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世の子ハインリヒが両シチリア国王となった。彼はのちに神聖ローマ皇帝となり、第5回十字軍を指揮する。

プロノイア制

 10世紀に成立した軍管区制(テマ制)は、11世紀に崩れ始めた。12世紀に入ると、新たな貴族への報酬制度プロノイア制へ移行した。

 テマ制では、司令官に軍事と行政の権限を与えた。しかし、プロノイア制では、軍管区に関係なく、戦争などで貢献のあった貴族に皇帝が直接土地を与える制度に切り替えた。これにより皇帝の軍事力を高めようとした。

セルジューク=トルコ

ルーム=セルジューク

ルーム=セルジュークは、小アジア(トルコ)にあるトルコ系騎馬民族国家である。12世紀のセルジューク=トルコの分裂で成立。都は、コンスタンチノーブル(イスタンブル)から少し離れたニケーアとした。オスマン族は、ルーム=セルジュークの有力諸侯の一人である。 

セルジューク=トルコの分裂

 11世紀、中東全域を治めていたのはセルジューク=トルコであった。セルジューク朝トルコは、トルコ系騎馬民族国家でスンニ派を信仰していた。

 11世紀末のマリク=シャーの時代に全盛期を迎える。しかし、12世紀に入ると分裂した。シリアのザンギー朝やトルコ(小アジア)のルーム=セルジュークはこのころから独自の動きを見せるようになる。

十字軍

第3回十字軍

 12世紀末、サラディン率いるアイユーブ朝エジプトがイェルサルムを征服。これに対し、ローマ教皇インノケンティウス3世が第3回十字軍を結成した。ローマ教皇の絶頂期を象徴し、フランスだけでなく、イングランド(イギリス)や神聖ローマ帝国(ドイツ)が参加した。

 しかし、神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世はイェルサレムは進軍中に亡くなり、撤退。イングランドと仲の悪いフランス国王フィリップ2世(尊厳王)も早々に撤退した。事実上イングランド国王リチャード1世(獅子心王)が単独で戦うことになった。

 3年にわたる戦争は、イェルサレムを奪還することはできなかったが、パレスチナ北部の港町アッコンを得た。イングランド国王リチャード1世(獅子心王)はサラディンと講和条約を締結し、終結した。

サラディン
アイユーブ朝エジプトを建国

 サラディンは、クルド人の武将である。シリアのトルコ系国家ザンギー朝に仕えた。サラディンは、ザンギー朝のエジプト遠征でエジプトに入った。ファーティマ朝エジプトで内紛が起こると、ザンギー朝は内紛に介入した。サラディンは、このファーティマ朝エジプトへ派遣された。ファーティマ朝エジプトのカリフは、サラディンを宰相に就任した。この頃になると、サラディンは本国ザンギー朝シリアを無視するようになった。

 ファーティマ朝のカリフが断絶すると、バグダードのカリフからスルタン(軍事のトップ)の称号を得る。これにより、アイユーブ朝エジプトが成立した。さらに、ザンギー朝シリアの国王が亡くなると、シリアを併合した。

第2回十字軍

 ザンギー朝シリアがイェルサレム王国へ侵攻。これに対し、フランス国王ルイ7世を中心に十字軍が結成された。これには、両シチリア王国(南イタリア)やテンプル騎士団などが参加した。これに対し、ザンギー朝シリアでは、若きサラディンなどが応戦した。この十字軍は失敗に終わった。

ザンギー朝シリア

 ザンギー朝は、セルジューク朝トルコの武将ザンギーが建国した。12世紀前半、セルジューク朝トルコの衰退時に独立した。ザンギー朝シリアの武将にはサラディンもいた。

イェルサレム王国

 11世紀末の第1回十字軍でパレスチナ(シリアとエジプトの間)に成立したキリスト教国。当初、イェルサレムを拠点としていたが、第3回十字軍で拠点をアッコンへ移す。

作成者: sekaishiotaku

初めまして、sekaishiotakuです。世界史好きの一般会社員です。よろしくお願いいたします。

「12世紀のビザンツ帝国 セルジューク=トルコ」への1件の返信

[…]  11世紀初頭、ビザンツ皇帝は北方のブルガリアへ侵攻。「ブルガリア人殺し」という大虐殺を行い、ブルガリアを併合した。ブルガリアは、7世紀に成立したトルコ系騎馬民族国家である。バルカン半島の東半分を支配していた。ビザンツ帝国のブルガリア支配は12世紀後半まで続いた。 […]

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