(前史)19世紀後半のヨーロッパ
開戦
ナチスドイツの侵略
38年03月、ナチスドイツは、オーストリアを併合。
38年09月、ミュンヘン会談
ナチスドイツは、チェコスロヴァキアに領土の割譲を要求。イギリスのチェンバレン首相は戦争回避のために会議を開催。イギリス(チェンバレン首相)、ドイツ(ヒトラー総統)、フランスとイタリア(ムッソリーニ首相)が参加した。この会議で、チェコスロヴァキアの領土割譲が決まった。
第二次世界大戦開戦
39年03月、ナチスドイツ、チェコスロヴァキアを解体し、保護国にした。これにより、イギリスとナチスドイツの関係に亀裂が生じた。
39年04月、イタリアがバルカン半島(アルバニア)へ侵攻。
イギリスとフランスは、ポーランドとギリシャの防衛を表明。そして、イギリスとフランスはソ連との軍事同盟を模索した。
39年08月、ソ連(スターリン)とナチスドイツが独ソ不可侵条約を締結。
39年09月、ナチスドイツとソ連は、ポーランドに侵攻。イギリス・フランスはナチスドイツに宣戦布告。第二次世界大戦が勃発した。
ナチスドイツの戦争
初戦
39年9月、ポーランドがソ連とナチスドイツに分割された。
39年11月、ソ連、フィンランドへ侵攻。その後、バルト三国を併合した。
西部戦線は、40年春から始まった。
4月、ナチスドイツ、北欧のデンマークとノルウェーを併合。
5月、ナチスドイツ、オランダとベルギーを併合。
6月、ナチスドイツ、パリを占領。
フランスを占領
40年6月、ナチスドイツが、パリを占領。
この結果を見て、イタリア(ムッソリーニ首相)も、ドイツ陣営で参戦。
フランスは、ペタン首相のヴィシー政府が成立。ドイツ陣営の国に変わった。
一方、フランスではドイツに抵抗する動きもあった。ド=ゴールはロンドンに亡命。亡命政府を樹立した。また、フランス国内ではレジスタンスという抵抗運動がおこった。
vs イギリス バトル=オブ=ブリテン
40年5月、イギリスで首相が交代。穏健派のチェンバレン首相から強硬派のチャーチルに変わった。ドイツは、イギリスに空襲を行った。上陸することができなかった。
41年2月、ドイツは、北アフリカで苦戦するイタリアに援軍を派遣。
独ソ戦
日ソ中立条約
41年4月、ドイツ軍はバルカン半島に侵攻。ユーゴスラヴィアとギリシャを占領した。これにソ連は危機感を感じた。そのため、同4月、ソ連は、日本と日ソ中立条約を締結した。
独ソ戦
41年6月、ドイツ軍は独ソ不可侵条約を破棄。ソ連へ侵攻した。(独ソ戦)。
ソ連は、ついにイギリスと同盟を締結。43年にはコミンテルンを廃止した。
ホロコースト
第2次世界大戦は、長期戦になった。ナチスドイツは占領地から工業資源や食料、労働力(強制労働)を奪った。
また、危機は差別を生む。多数のユダヤ人が強制収容所で殺害された。
各地で、ナチスドイツへの抵抗運動(レジスタンス)が起こった。これを支援したのがコミンテルンであった。
太平洋戦争
(前史)日中戦争
舞台は東アジアへ。
東アジアでは、中国国民党・中国共産党連合軍と日本軍が日中戦争を展開。日本は国力を消耗していた。
さらに、満州国問題で日本は孤立をしていた。
インドシナ進駐
40年9月、ナチスドイツがパリを占領。日本は、フランスのヴィシー政府からインドシナ北部を譲り受け、駐屯した。そして、三国防共協定をアメリカを仮想敵国とした日独伊三国同盟に発展させた。
41年4月、日ソ中立条約を締結。インドシナ南部に進駐した。
日米交渉と太平洋戦争
アメリカは、中立を保っていた。
41年3月武器貸与法を制定。ファシズム国家(日独伊)を仮想敵国として、イギリスやソ連に武器や軍事物資を供給した。
そして、アメリカ合衆国は日本へ経済制裁を実施。日本への石油輸出を禁止した。イギリス・オランダもこれに同調した。
日本政府は、経済制裁解除にむけて交渉が行われた。(日米交渉)。12月にこれが決裂。真珠湾攻撃とマレー海戦を皮切りに日本はアメリカとイギリスに宣戦した。太平洋戦争である。
日本のアジア統治
開戦半年で、日本は東南アジアと太平洋の半分を征服した。
日本は、「大東亜共栄圏」をかかげて、占領地に親日政権を樹立した。
朝鮮半島では、30年代に同化政策がすすめられた。40年代に入ると、日本での強制労働が行われた。
東南アジアでは、当初、日本軍は解放者として迎えられた。しかし、現地の歴史や文化を無視した政策で、各地で抵抗運動が起こった。
ファシズムの敗北
42年 ミッドウェー海戦
42年6月(開戦から半年後)、ミッドウェー海戦で日本海軍がアメリカ海軍に敗北。ここから日本は衰退へと向かっていく。
43年 イタリアの降伏
43年初頭、ソ連軍はスターリングラードの戦いでドイツ軍に勝利。
43年7月、イタリア国王はムッソリーニ首相を解任。パドリオ新政権が誕生。
43年9月、パドリオ新政権は、英米に降伏した。
大西洋憲章→ヤルタ協定
41年8月、英米首脳会談。大西洋憲章を発表。ソ連がこれに参加した。
43年1月、連合国共同宣言。
43年11月、日本が大東亜会議を開催。
43年11月、カイロ会談。英米中で大東亜会議に対抗。
43年11月、テヘラン会談。初の英米ソの首脳会談。
44年6月、英米軍、ノルマンディ上陸作戦。指揮官はアイゼンハワー将軍。
44年8月、英米軍、パリ解放。ド=ゴール臨時政府が成立。
45年2月、ヤルタ協定
ドイツの降伏
45年4月、ヒトラー総統が自害。翌5月にソ連軍がベルリンを占領。ドイツは降伏した。
日本の降伏
44年、サイパン陥落。ここから日本本土での空襲が始まる。45年2月、アメリカ軍がマニラを奪回。4月、沖縄戦が始まる。4月、フランクリン=ローズヴェルト大統領が死去。トルーマン大統領が昇格。7月、ポツダム会談。ポツダム宣言を発表。
8月、原爆投下とソ連の参戦を受けて、ポツダム宣言を受諾。
大戦の結果
世界恐慌が原因
第二次世界大戦は、ファシズム国家(日本、ドイツ、イタリア)が国内危機(世界恐慌)を打破すべく戦争を開始した。
この戦争は、日中戦争とヨーロッパの戦争という別々の戦争として始まった。41年の太平洋戦争の勃発で2つの戦争が結び付いてしまった。
連合国
英米は、大西洋憲章を通じてヴェルサイユ体制・ワシントン体制に代わる新たな世界秩序を提示。これにソ連など多くの国が参加した。
一方、ドイツは自国民の優位性を主張。占領地域の抵抗運動を受けて敗北した。
米ソの台頭
連合国の勝利によって、アメリカとソ連の発言力が高まった。
反ファシズム運動は、この後独立運動につながった。一部の国ではソ連の影響を受けて社会主義政権が成立した。