17年10月衆院選 安倍首相 vs 小池都知事
18歳選挙制
この選挙から、選挙権が拡大。これまで20歳以上としていた選挙権を、18歳以上に引き下げた。
この選挙が平成最期の選挙となった。
忖度 ~森友・加計問題~
17年の予算委員会の審議が紛糾した。安倍首相のスキャンダルである。森友学園問題と加計学園問題である。森友学園問題とは、国有地を森友学園に格安で売却した問題である。加計学園問題とは、加計学園の経営する大学の学部新設に安倍首相の関係者が口利きをしたのではないかという疑惑である。
この時期、使われた流行語は忖度(そんたく)である。直接は支持されていないが、相手をおもんばかって行動することである。その背景には、内閣人事局の設置がある。13年の国家公務員法の改正で成立した部署である。それまで、官僚が行っていた人事のうち、幹部の人事については内閣人事局が一元管理をするようにした。この結果、官僚は、首相などの官邸の人たちに忖度するようになった。
ちなみに、内閣人事局の設置を進めたのは、当時の官房長官である菅氏である。また、初代局長になった加藤氏は、菅政権で官房長官を務める。
17年7月 都議選
小池都知事は、前年16年の都知事選出馬のために、自民党を離党。自民党公認候補を破って、都知事になった。
17年1月、小池都知事を支援する都議会議員が都民ファーストの会を結党。
17年7月の都議選に勝利。都民ファーストの会は、都議会自民党からだ1党の座を奪った。
17年9月 解散へ
安倍首相は、9月25日、臨時国会の冒頭で衆議院を解散した。安倍首相は、「国難突破解散」であると語り、19年の消費税増税の使途と北朝鮮のミサイル問題を争点に掲げた。
マスコミや野党は、臨時国会で森友・加計問題について追及されるのを避けるためだと非難した。
小池都知事と希望の党
同9月、小池都知事は、小池都知事を支援するために自民党を離党した国会議員のために、国政政党の希望の党を結党した。
同9月、野党第1党の民進党が希望の党への合流を決めた。民進党とは、16年3月に民主党と維新の会が合流してできた政党である。
リベラル政党 立憲民主党
記者会見で、小池都知事は「考えの違う議員を議員を受け入れますか」という質問に、「排除します」と回答。
リベラル系議員の有力議員は、無派閥で出馬することになった。しかし、若手の選挙に弱い議員は混乱した。そこで、枝野氏が立憲民主党を結党。リベラル系議員の受け皿になった。
自民党 漁夫の利を得る
当初、逆風を予測されていた自民党は、野党の分裂で議席数を減らすことはなかった。
本来、安倍首相は、翌18年10月で2期6年で任期満了であったが、この選挙結果を受けて任期を延長。3期6年の21年10月までとなった。
立憲民主党
立憲民主党は、当初少数政党になると見込まれていた。しかし、枝野氏のSNS戦略や小池発言への同情から次第に勢力を拡大。また、本格的なリベラル政党の復活に多くの人が期待を寄せた。15議席から55議席に拡大。希望の党を抜いて野党第1党になった。
希望の党
一方、希望の党は、予定よりも議席を増やすことができず。7議席減の50議席にとどまった。
小池都知事は、責任を取り希望の党の代表を降りた。18年5月国民民主党として再出発した。
14年12月衆院選 アベノミクス
消費税増税
消費税は、民主党政権下で段階的に増税することが決まった。14年4月、予定通り消費税は5%から8%に増税した。安倍首相は、15年10月の消費税増税の先送りを発表。この是非を問うために解散へ踏み切った。
ちなみに、この選挙から法律上、平成生まれの国会議員が誕生するが今回はなかった。
公平な報道
14年9月、安倍政権は内閣改造を実施。総務大臣に高市氏を付けた。
14年11月、自民党副幹事長がTVのマスコミに対して、公平な報道への要望書を出した。報道機関は反発した。
16年2月の予算委員会で、高市大臣は放送法に基づく電波停止を示唆した。
これが21年9月の総裁選の報道姿勢に現れた。
選挙結果 自民党 現状維持
この選挙で議席に大きな変動はなかった。自公政権は、3分の2の議席を維持した。安倍首相は、この選挙結果を受けて、15年の総裁選挙で無投票再選を果たした。
選挙結果 民主党 代表が落選
民主党は、議席を増やすも政権交代に至らなかった。また、民主党代表の海江田氏がこの選挙で落選した。
選挙結果 維新の党 微減
14年9月、大阪市長の橋本氏の日本維新の会と旧みんなの党の枝氏らが合流。維新の党を結党した。
今回の選挙では、1議席減の41議席になり、第3極を作ることができなかった。
維新の党は、野党再編で分裂。一部の議員が離党し、大阪維新の会を発足。
16年、民主党と合流し、民進党になった。
選挙結果 新党は惨敗
新党は、ほとんど議席を獲得できなかった。議席を獲得できたのは、小沢代表の生活の党と石原慎太郎氏の次世代の党の見であった。
12年12月衆院選 政権奪回
近いうち解散
12年臨時国会。民主党の野田首相はねじれ国会に困っていた。安倍総裁との党首討論の場で、近いうちに解散することを条件に安倍総裁に消費税増税法案の可決を約束。
消費税増税が可決。12年12月野田首相は約束通りに解散を行った。
新党ブーム
この頃、新党ブームが起こる。解散時には国政政党が16あり、合流を経て12の政党が出馬した。与党の民主党、社民党、国民新党。主要野党の自民党、公明党、共産党以外に以下の党が出馬した。
- 渡辺喜美氏や江田氏らのみんなの党
- 小沢代表らの日本未来の党
- 橋本府知事の日本維新の会
- 鈴木宗男氏の新党大地
- 舛添氏らの新党改革
- 田中氏(長野県知事)らの新党日本
自民党 政権交代へ
自民党は、単独で安定多数を確保。連立与党で3分の2を確保した。これにより、第2次安倍政権が成立した。
民主党
惨敗。議席が4分の1に激減。現職閣僚が多数落選した。
新党の勝ち組
新党で議席を大きく伸ばしたのは、関西の日本維新の会と関東のみんなの党であった。14年、この2つの党は後に合流し、維新の会となる。
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