90年代の政界は激動の時代であった。93年に55年体制が崩壊。非自民政権が成立。その後、自社さ政権を経て、99年に自公政権が成立。現在の政治構造が固まった。
00年06月 神の国解散
自自公連立政権
98年参院選で自民党が敗北。橋本政権が退陣。小渕政権が成立した。
98年10月の金融国会では野党の民主党案を丸のみして金融再生法案を成立させた。
翌11月、公明党提案の地域振興券を発行。
翌99年1月、小沢氏の自由党、公明党と連立政権を樹立。現在の自公政権の基礎を築いた。
自自公大連立政権は、周辺事態法や国旗国歌法を制定。保守色の強い法律を次々制定した。
小沢氏、連立を離脱
99年2月、小沢氏の自由党の意見を採用し、比例代表の議席を減らした。
しかし、自由党との連立協議は決裂。99年4月、自由党は連立離脱を表明。その翌日、小渕首相は脳梗塞に倒れ、そのまま帰れぬ人になった。
密室で森政権成立
小渕首相が亡くなると、自民党幹部が、次期首相に当時幹事長の森氏を付けた。密室で決定したことで批判を浴びた。
一方、離脱を表明した自由党に対して野中氏は引き抜き工作を行った。こうして誕生したのが保守党である。
この保守党に参加したメンバーは、海部元首相、野田毅氏(21年総裁選で選挙を取り仕切った)。二階氏や小池氏が参加した。投手には元宝塚女優の扇氏が務めた。
無党派層は寝てくれればいい
森首相は、失言が多い大臣であった。特に神の国発言は野党に厳しく追及された。
ちなみにこの選挙は20世紀最後の選挙になる。この選挙から、比例区の定数が20削減された。
また、投票率が上がる工夫もなされた。投票時間が延長され、夜8時まで投票できるようになった。さらに不在者投票の要件も緩和された。
そのような中、森首相は、「無党派層は寝てくれればいい」と発言。密室政治で支持率が低いのに、失言でさらに支持率を落とした。
自民党敗北 加藤の乱へ
自民党は過半数割れの大敗。現職閣僚が2名落選した。公明党や保守党も議席を減らした。特に保守党が議席を半減させる大敗をした。
11月、総裁選で橋本氏に敗れた加藤氏が反旗を翻した。しかし、ここでも野中氏が切り崩しを実施。成功しなかった。
01年、森首相が辞任。前倒しした総裁選で小泉政権が成立した。
民主党勝利
民主党は、都市部で躍進。大きく議席を伸ばした。小泉政権ができなければ00年代初頭には民主党政権が成立した可能性が高い。
96年10月 橋本自民党 vs 小沢新進党
小選挙区比例代表制
93年に成立した細川非自民連立内閣は、政治改革関連法案を改正。この選挙から中選挙区制から、小選挙区比例代表制へ移行した。
自社さ政権① 村山政権
94年7月に村山政権が成立。
95年、1月に阪神大震災。3月に地下鉄サリン事件が発生。この対応の遅れで村山政権は大きく支持を落した。7月の参院選で大敗。この時、村山首相は退陣の意向を示したが慰留された。8月、村山談話を発表。
自社さ政権② 橋本政権
96年1月、村山政権は突然辞任。自民党総裁の橋本政権が成立した。96年の通常国会で、住専特措法を成立。沖縄の普天間基地の返還が決定した。そして、6月に解散へ踏み切った。
小沢氏の新進党
94年、自社さ連立政権で、小沢新生党は野党に転落した。新生党は、日本新党や公明党の一部などと合流。新進党を結党した。これは大政党に有利な小選挙区比例代表制に対応するためであった。
第三極 鳩山氏・菅氏の民主党
96年9月、新党さきがけの鳩山氏・菅氏が民主党を結党。新党さきがけや社会党から多くの議員が参加した。
これにより、社民党(旧社会党)と新党さきがけは少数政党になった。
自民党勝利 橋本政権の継続
自民党は、この選挙で議席を伸ばした。橋本政権は存続した。単独過半数獲得に向けて新進党への引き抜き工作を展開した。
社民党 閣外協力へ
社民党と新党さきがけは、大きく議席を減らした。特に新党さきがけは議員が2人になった。そのため、社民党と清とさきがけは閣外協力の形にになった。
新進党 解党へ
新進党は、議席を減らし政権交代を実現できなかった。自民党の引き抜き工作。羽田氏、細川氏の離党で、小沢氏の求心力は低下した。
翌97年8月の参院選で、自民党が敗北。小沢氏は、自民党の梶山氏、亀井氏と組んで自民党との連立を画策。しかし、新進党内の反発で失敗した。
97年12月、新進党は6党に分党した。
これらの政党は、小沢氏の自由党、公明党に集約されたほか、一部の党は民主党に合流した。
民主党 野党第1党へ
民主党は、議席を伸ばすことはできなかった。また、自民党が議席を増やし、自社さ政権は過半数割れせず、キャスティングボードを握ることができなかった。
97年12月、新進党が解党。
98年4月、旧新進党の一部の議員と合流。新・民主党が誕生。野党第1党になった。
93年7月 非自民8党連立内閣
嘘つき解散
91年、海部おろしで海部政権が退陣。宮澤政権が成立した。バブルの崩壊で国民の不満が高まっていた。そんな中、政治改革が全く進まなかった。
内閣不信任案可決
93年6月、野党は内閣不信任案を提出。これに、小沢氏ら自民党の一部の議員が賛成に回り可決。宮澤政権は解散か総辞職を選択が求められた。そして、解散へ踏み切った。
選挙結果
自民党
自民党は、現有議席を確保。しかし、単独過半数を獲得することができなかった。
安倍晋三氏、岸田文雄氏や野田聖子氏はこの選挙で初当選を果たした。
宮沢首相は、総裁を辞任。河野総裁が誕生した。
社会党
自民党批判票が新党に流れ、大きく議席を減らす。しかし、野党第1党は確保した。
新生党
新生党は、自民党を離党した小沢氏らが結党した政党である。新生党は第3位になったが社会党に近い議席数を確保した。
初当選
無所属では、高市早苗氏や田中真紀子氏が初当選した。
日本新党と新党さきがけ
自民党は過半数割れになったが、連立を組めば現在のように政権を確保することが可能であった。その候補に挙がったのが日本新党と新党さきがけであった。
日本新党は、元熊本県知事の細川氏が結党した新党である。日本新党はこの選挙で35議席を確保した。そのメンバーは現在のの党幹部クラスが多い。
立憲民主党党首の枝野幸男氏、のちに首相になる野田佳彦氏、名古屋市長の河村たかし氏、東京都知事の小池百合子氏がこのときに日本新党で初当選している。
自民党幹部でも、茂木外相も日本新党で初当選している。
新党さきがけは、自民党を離党した武村氏が結党した政党。メンバーには鳩山由紀夫氏がいた。
細川政権
小沢氏はウルトラCを飛び出した。首相の地位を細川氏に譲ったのである。これにより、非自民8党連立内閣が成立した。
- 社会党
- 新生党(自民党から離党した小沢氏らの党)
- 公明党
- 民社党
- 社民連(菅氏ら)
- 民改連
- 日本新党
- 新党さきがけ(旧自民党)
自社さ政権へ
細川政権は、政治改革関連法を制定。小選挙区比例代表制を導入。政治資金規正法を制定。政党助成金を導入した。
細川首相の佐川急便闇献金疑惑や消費税増税(国民福祉税構想)の失敗で、細川首相は求心力を失った。
94年1月、政治改革関連法が成立。この時、消費税の増税問題で小沢氏と社会党が対立。
94年4月、細川政権が退陣。羽田政権が成立。社会党とさきがけは連立を離脱した。少数与党になった羽田政権は予算成立に苦慮。6月に予算を成立させ退陣した。
次期首相の座をめぐり、小沢氏と野中氏の引き抜き合戦が行われた。
小沢氏がターゲットにしたのが海部元首相(三木派)と中曽根元首相であった。当時自民党は、小選挙区候補者調整で苦慮していた。この2人は立候補できない可能性があった。海部元首相は離党した。しかし、中曽根元首相は比例終身第一位を条件に残留した。
そして、野中氏は首相の座と引き換えに自社さ連立政権を実現した。
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