15世紀の中国 明王朝 永楽帝と土木の変

前回の復習 16世紀前半の中国

 16世紀前半の中国は、明王朝の時代。15世紀後半から始まる北虜南倭の混乱期である。

 今回は、15世紀初頭の永楽帝の全盛期から、北虜南倭の時代を見ていきます。

15世紀前半の国際情勢

 15世紀は、中世の終わりである。中世の特徴である。封建社会の崩壊が表面化していく時代である。

 日本は、室町時代。足利義満が南北朝の騒乱を終わらせる。15世紀後半の応仁の乱をきっかけに室町幕府の権威は低下。戦国時代へ向かっていく。

 ヨーロッパでは、百年戦争やイタリア戦争などの対外的な戦争や、イングランドのバラ戦争のような内乱など混乱した時代である。これにより、貴族が没落し、国王の権威が高まっていく。

永楽帝

クーデター)靖難の役

 永楽帝は、99年にクーデター(靖難の役)を成功。02年、皇帝に就任した。

北京遷都

 皇帝になる前、永楽帝は、モンゴル(北元)

内閣大学士の設置

 戦で勝利して権力を握ったものは、専制政治を取らざるを得ない。なぜなら、それまで政治の中枢にいたものは、敵であるからである。

 明王朝、初代皇帝の洪武帝は、専制政治を多なった。

 

朝貢と勘合貿易

 35年、乾隆帝が即位。ジュンガルを滅ぼして、最大版図を獲得する。

 58年、ジュンガルを滅ぼし、併合した。

 蔡牽(さいけん)が、1大勢力を築いた。南シナ海の制海権を得た。交易のために南シナ海を航行する船から通行税を取っていた。

 07年、清王朝は、蔡牽(さいけん)追討軍を派遣。09年にようやく鎮圧された。

鄭和の大航海

四書大全

科挙

四書大全、五経大全

永楽大典

47年、外国人宣教師の居住の禁止。

明王朝の衰退

幼少皇帝

北虜南倭① 北方騎馬民族とモンゴル

99年、イギリスに広州貿易を許す。

02年、広州・アモンで行商制度

15年、イギリス東インド会社、広東に商館設置。カスティリオーネ、北京に至る。

20年、広州で公行制度を導入

土木の変

北虜南倭② 後期倭寇

 後期倭寇

 福建省の農民反乱

 上海の工業化

湖広熟すれば天下足る

工業)家内制手工業

 国際商業が活発化すると、長江下流域では家内制手工業が盛んなった。綿織物絹織物が主たる製品になった。景徳鎮に代表される陶磁器の製造も盛んになった。

商業)特権商人

 商業では、政府(明王朝)と結びついた特権商人が巨大な富を築いた。

穀倉地帯は長江中流域へ

 長江下流域の工業化が進むと、穀倉地帯は、長江中流域へ移動した。それにより、「湖広熟すれば天下足る」と称されるようになった。

 ちなみに、12世紀には「蘇湖熟すれば天下足る」と言われた。

文化

儒教 陽明学

『水滸伝』

09年、円明園造営が始まる。

四代画家

 嘉慶帝が即位した翌年(96年)、白蓮教徒の乱が発生。中国全土に及ぶ大反乱になった。

 11年、『

 25年、『古今図書集成』

 ちなみに、乾隆帝は、99年に崩御した。

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