1970年代の日本 田中首相と日中国交正常化

前回の復習 1980年代前半の日本

 1980年代前半、日本は中曽根政権の時代。小さな政府の時代。中曽根首相は、JTやJR、NTTが民営化した。

1970年代の国際情勢

 軍事面では、雪解けの時代。米ソの軍縮交渉が行われた。また、中国は、日本、アメリカと国交正常化。国連代表権も、台湾の国民党政府から、北京の共産党政権に移った。

政治)派閥政治全盛期

 70年代、自民党は景気低迷を理由に、議席を大きく減らした。そのため、少数派閥が大きな発言力を持つようになった。

 この時代、5つの派閥に別れていた。田中派、福田派、大平派、三木派と中曽根派である。

 72年、佐藤栄作首相は、沖縄返還を経て勇退。その後継争いで、田中氏と福田氏が対立。(角福戦争)。大平派と中曽根派が田中派について、田中政権が成立した。

 74年、週刊誌で田中金脈問題で田中首相が退陣。福田政権を嫌った田中派は、三木氏を首相に担ぎ上げた。景気低迷によって、初の赤字国債を発行した。そのような中、ロッキード事件が発覚。三木首相は、ロッキード事件を追求。これにより、自民党大部分がそっぽをむいた。そのような中、76年、衆議院が任期切れ総選挙が行われた。このとき、河野洋平氏が自民党を離島して新自由クラブを結成した。

 その後の選挙が敗北するが、自民党はかろうじて過半数を確保。福田政権が成立する。

 78年、田中派は大平首相を誕生。赤字国債を解消するために、売上税の導入を検討。総選挙を実施。自民党はまた議席を減らした。福田派ら反主流派は、大平首相の退陣を求めたがこれを拒否した。これにより生じたのが40日抗争である。野党が内閣不信任案を提出。福田派らが棄権したため成立。解散総選挙担った。解散総選挙中に大平首相が死亡。弔い合戦で自民党は勝利。鈴木政権が成立した。

経済)低成長期へ

外交)国交正常化