1980年代前半の日本 中曽根政権、NTTとJR

前回の復習)1980年代前半の日本

 1989年は激動の年である。1月に昭和天皇が崩御。自粛ブームが広がった。4月消費税が導入された。同じ月、リクルート事件が発覚。55年体制の崩壊のきっかけになった。12月には、日経平均は史上最高値4万円近く(2018年11月は2万円強)まで行った。ゲームボーイが発売された年でもある。

  この年、世界的に大きな事件が相次いだ。ソヴィエト連邦ゴルバチョフ書記長の改革の結果、東欧諸国で次々共産党政権が崩壊した。その象徴的な出来事がベルリンの壁崩壊である。ドイツは翌年統一された。一方、中華人民共和国では、民主化を呼び掛ける学生デモが軍によって鎮圧された(天安門事件)。

 余談だが、このころ地方博覧会ブームが広がった。横浜博覧会が開かれたのもこの年である。横浜ベイブリッジが完成したのもこの年である。

1980年代前半の国際情勢

 東西冷戦は、ソ連のアフガニスタン侵攻を受けて、新冷戦が始まる。

 また、イラン革命を受けて、イラン=イラク戦争が勃発。アメリカはイラクのフセイン大統領を支援した。

 経済では、70年代の不況に対して、ケインズの経済政策が無力であった。そのような中で登場したのが新自由主義経済学である。この考え方をベースにアメリカのレーガン大統領やイギリスのサッチャー首相が国営企業の民営化を進めていった。

80年代前半の日本政治

 自民党は、景気回復と大平首相の急死を受けて、80年衆参同日選挙に大勝。鈴木政権が成立する。

 82年、中曽根政権が成立。戦後政治の総決算が行われた。

  • 日米関係の緊密化
  • 防衛費の増大
  • 新自由主義経済学にもとづく、JR(国鉄)、JT(たばこ)、NTT(電話)の3公社の民営化を実施
  • 日米貿易摩擦の解消

経済

日米貿易摩擦

 日本は、減量経営に成功した結果、第2次オイルショックでは大きな影響を受けなかった。しかし、アメリカは、第2次オイルショックの影響を受けた。これにより、アメリカでは日米貿易摩擦が問題視された。

 中曽根政権は、輸出の自主規制を実施。トヨタなどの大手自動車会社は、アメリカに生産拠点を置くようになった。また、農産物の輸入自由化交渉も始まった。

 85年のプラザ合意で、急激な円高が発生。円高不況に入る。

産業空洞化

 また、物価高騰を受けて日本の生産コストは上昇。変動相場制による円高を背景に、海外の生産拠点の建設が進んだ。これにより、NIEs(新興工業経済地域)がアジアに誕生した。韓国やシンガポール、台湾等である。

JR 三大公社民営化

 中曽根政権時代の経済政策は、新自由主義政策である。新自由主義政策は、減税や民営化によって景気を良くしようとする考え方である。アメリカのレーガン大統領や、イギリスのサッチャー首相も採用した。

 70年代までは、ケインズ経済学を背景とした政府支出の拡大が景気対策の主軸であった。しかし、オイルショックに対しては、物価上昇を拡大させるだけで、景気はむしろ悪化した。(スタグフレーション)。これに対応したのが、新自由主義経済学である。

 景気を示すGDPは、需要によって決まるとされている。需要は、4つの総和で決まる。消費、投資、政府支出と国際収支である。このうち、投資は、景気動向によって決まり、国際収支は、海外の経済動向で決まる。ケインズ経済学では、不足した需要を公共事業などの政府支出の拡大によって補おうとした。一方で、新自由主義経済学では、国有企業の民営化によって業務効率化し、国有企業が担ってい鉄道料金などの生活費を下げ、さらに減税を実施。これらにより、手取り(可処分所得)を増やし、消費を拡大させて、景気を回復させようとする政策である。

ケインズ経済学新自由主義経済学
30年代の世界恐慌70年代のオイルショック
公共事業などによる政府支出の拡大で需要を増やす。減税などによる消費の拡大で需要を増やす。

 中曽根首相は、3つの公社を民営化した。

  • 鉄道事業 国鉄 → JR
  • 通信 日本電電公社 → NTT
  • タバコ 専売公社 → JT

外交

 中曽根首相は、日米関係を重要視する外交政策を進めた。

文化

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