1800年代のシリア・パレスチナ フランス革命と聖地管理権

前回の復習 1810年代のシリア・パレスチナ

 19世紀、シリア・パレスチナを含む中東は、オスマン帝国の支配していた。19世紀前半のオスマン帝国は少数民族の独立運動やロシアの南下政策に悩まされていた。

 1820年、オスマン帝国は、ギリシャ独立戦争に悩まされていた。

1800年代の国際情勢

 1810年代、日本は江戸時代。徳川家斉の大御所政治の時代。江戸は、化成バブルに湧いた。浮世絵など江戸の文化はこの時期に形成された。

 中国は、清王朝の時代。白蓮教徒の乱やインド産アヘン問題で衰退期に入り始めた。

 ヨーロッパは、ナポレオン戦争が終結して、反動政治が行われていた時代。ラテンアメリカの独立運動やギリシャ独立運動で市民革命の勢いがつき始めた。

聖地管理権とは

聖地管理権とは

 聖地管理権とは、エルサレムのキリスト教地区の管理権である。

 キリスト教地区には、五本山の一つである聖墳墓教会(エルサレム教会)がある。

エルサレムは、3つ宗教の聖地

 エルサレムは、イスラム教、キリスト教とユダヤ教の3つの宗教の聖地である。

 最初に成立したのは、ユダヤ教である。紀元前10世紀にユダヤ人国家であるヘブライ王国が成立した。この時代からユダヤ教は成立した。エルサレムは、ユダヤ人国家の首都であった。ここには、ユダヤ教の神殿も作られた。

 次に成立したのがキリスト教である。紀元前1世紀末、イエスが誕生。当時のエルサレムは、ローマ帝国の支配下にあった。この時代のユダヤ教は、高級神官が統治していた。イエスは、ユダヤ教の改革運動を実施。高級神官の反感を買い、エルサレムで処刑された。ここに建設されたのが聖墳墓教会である。

 イエスの弟子たちは、ローマ帝国各地でイエスの教えを広めていった。これがキリスト教である。

 最後に成立したのが、イスラム教である。紀元前7世紀初頭、ムハンマド氏は聖地エルサレムを訪れたときに預言を受けたとされている。

聖地管理権はフランスに

 オスマン帝国が、エルサレムを支配したのは15世紀である。オスマン帝国は、当時の同盟国であるフランス国王にエルサレムのキリスト教教会の管理を委託した。

オスマン帝国の宗教政策

イスラム教国

 オスマン帝国は、セルジューク朝の分家が成立した王朝である。宗教は、セルジューク朝と同じイスラム教スンニ派を支配した。

異教徒に寛容

 オスマン帝国は、バルカン半島を支配した。バルカン半島には、ギリシャ正教会、アルメニア正教会、カトリック教などの多くのキリスト教エリアを支配した。

 オスマン帝国は、これらの宗教に対して寛容な態度を取った。そのため、大きな宗教反乱が起こらず、長期王朝になった。

ミレット制

 オスマン帝国の異教徒政策は、ミレット制に象徴される。

 ミレットとは、宗教共同体を意味し、ギリシャ正教会、アルメニア教会とユダヤ教の3つのミレットが存在した。

 ミレットには、人頭税(シズヤ)の納税義務がある。一方で、自治権が認められていた。

フランス革命と聖地管理権

フランス革命とキリスト教

 フランス革命は、庶民が免税特権を持つ特権階級に対して起こしたのが始まりである。

 その特権階級は、貴族と聖職者である。フランス革命では多くの教会財産が没収された。

王政の停止

 フランス革命によって、ルイ16世は廃位され、処刑された。前述のとおり、フランス国王であるルイ16世は、エルサレムの聖地管理者でもあった。これにより、エルサレムの聖地管理者も不在になった。

理性の崇拝

 フランス革命が最盛期になると、フランスは社会主義に近い状況になった。キリスト教を否定して「理性の崇拝」をもとめた。「最高存在の祭典」もこのときに行われた。

 革命政府は、エルサレムの聖地管理権をこのときに放棄している。

ナポレオンとオスマン帝国

 ナポレオンが登場すると、98年、オスマン帝国領エジプトへ侵攻。(エジプト遠征)。これにより、ナポレオンとオスマン帝国の争いが始まった。

 01年、ナポレオンはローマ教会と和解した。しかし、交戦中のオスマン帝国は、ナポレオンに聖地管理権を渡さなかった。

ロシアとオスマン帝国

 ロシアは、黒海をめぐりオスマン帝国と対立していた。南下政策の1つである。

 08年、ロシアとオスマン帝国内のギリシャ正教徒を切り離すために、ギリシャ正教徒とアルメニア正教徒にエルサレムの聖地管理権を譲渡した。

スルタン暗殺

 当時のスルタン(皇帝)は、セリム3世である。セリム3世は、西欧化政策を展開していた。ムハンマド=アリーを抜擢したのもセリム3世である。

 しかし、セリム3世を心良く思わない保守派も存在。セリム3世は、保守派によって幽閉。07年、保守派と改革派の対立の中、セリム3世は殺害された。