もくじ
(前史)第一次世界大戦
ヴェルサイユ体制とワシントン体制
民族自決と植民地
17年11月、ロシア革命で、ロシアが「平和に関する布告」を発表。翌18年1月の教書演説で、アメリカのウィルソン大統領(民主党)が平和14か条を発表。これは、ロシアの「平和に関する布告」に対抗したものであり、17年の第一次世界大戦参戦の正統性を主張するのものであった。
同18年11月、ドイツ共和国が降伏。翌19年1月、パリ講和会議が始まった。
アメリカのウィルソン大統領は、平和14か条(民族自決)に基づいて植民地の独立を画策。しかし、フランス(クレマンソー)とイギリス(ロイド=ジョージ)が反発。民族自決は、敗戦国の旧ロシア・ドイツ・オーストリアに限定された。また、ドイツの海外植民地は戦勝国に分配された。
巨額の賠償金
19年6月、ヴェルサイユ宮殿(フランス)の鏡の間で講和条約が締結された。この条約はヴェルサイユ条約と呼ばれる。ここは、ドイツ帝国の建国を宣言した場所である。内容は以下のとおりである。
- ドイツはすべての植民地を放棄
- ドイツは普仏戦争で獲得したアルザスロレーヌをフランスに返還
- 周辺国への呂度の割譲
- ラインラントの非武装化
- 軍備制限
- 巨額の賠償金(金額は21年に確定)
委任統治領
民族自決の原則で東欧諸国の独立が認められた。しかし、それ以外の地域の独立は認められなかった。これらは委任統治領とよばれ、戦勝国が統治した。
国際連盟
平和14か条に基づいて、国際連盟が発足した。スイスのジュネーヴに本部が置かれた。常任理事国は、戦勝国のイギリス、フランス、イタリア、日本、アメリカで検討されていた。しかし、共和党を中心に議会が反対。アメリカは国際連盟に参加しなかった。それ以外に、ドイツとロシア(ソ連)も参加が認められなかった。
ワシントン会議
20年大統領選挙で、民主党が敗北。共和党のハーディング大統領が誕生。ハーディング大統領は、ヴェルサイユ条約のやり直しを行うためにワシントン会議を招集した。ここで3つの助役が締結された。
- 海軍軍備軍縮条約
- アメリカ、イギリス、日本、フランス、イタリアで締結。
- 主力艦の保有比率を定め、建艦競争を防止した。
- 九か国条約
- 中国の主権の尊重と領土保全を定める。
- ジョンヘイの門戸開放宣言がベース
- この条約で二十一か条の要求は無効に
- 中国と中国に権益を持つ8か国が参加
- 四か国条約
- 太平洋の現状維持
- 日英同盟はこの条約で破棄される。
- アメリカ(ハワイとフィリピン)、イギリス(オーストラリア)、フランス(タヒチ)、日本(小笠原諸島、南洋諸島)
国境紛争と軍縮
国境紛争
20年代、東欧で国境紛争が起こった。
- トルコ vs ギリシャ(ローザンヌ条約)
- ポーランド vs ソ連
- ベラルーシ vs ウクライナ
- イタリア vs ユーゴ(未回収のイタリアのフィウメ)
フランス vs ドイツ
23年、フランスが賠償金の支払い遅延を理由にルールを占領。
24年、ドーズ案で賠償金問題が解決。
25年、ロカルノ条約でルール占領が終わる。
26年、ドイツが国際連盟に加入。
軍縮交渉
28年、不戦条約(ブリアン=ケロッグ条約)。国際紛争の解決手段として戦争に訴えないことを決める。
30年、ロンドン海軍軍縮条約。補助艦を含めた海軍の保有比率を定める。アメリカ、イギリス、日本、フランスとイタリアが参加。
20年代のヨーロッパ
イギリス 労働党政権
18年、第4回選挙法改正で女性参政権を認める。28年、第5回選挙法改正で21歳以上の男女に選挙権を与える。戦後、労働党が自由党を抜いて第2党に。24年、労働党のマクドナルド氏が自由党と連立政権。短命政権に終わる。29年、労働党が第一党に、マクドナルド労働党政権が復活した。
アイルランド
22年、アイルランド自由国として自治がみとめられる。31年、ウェストミンスター憲章で自治領は、王冠への忠誠のもと、本国と対等の地位を得た。37年、イギリス連邦を事実上離脱。国名をエールとする。
フランス
22年、ポワンカレ右派政権が成立。ヴェルサイユ条約の履行を強く求めた。24年、賠償金の支払い遅延を理由にルールを占領。国際的な非難を浴びる。同24年、左派連合政権が成立。25年、ブリアン外相。ドイツとの和解に努める。28年、不戦条約(ケロッグ=ブリアン条約)に調印。
ドイツ
ドイツは、第一次世界大戦中のドイツ革命で共和国にいこうした。
主力政党は、ドイツ共産党と社会民主党である。19年、社会民主党は軍部などの保守勢力と結んでエーベルト大統領を選出。ヴァイマル憲法を制定した。
23年、ルール占領。ハイパーインフレーションが発生。シュトレーゼマン首相に就任。レンテンマルクを発行して克服した。
24年、ドーズ案で賠償金問題が解決。25年、エーベルト大統領が死去。第一次世界大戦の英雄ヒンデンブルグ氏が大統領人就任。26年に国際連盟に加盟。
イタリアのファシズム
背景
イタリアは、戦後インフレで生活が困窮した。これにより、政府への不信が高まった。この不信は、共産党支持に向かった。20年、イタリア共産党は、ミラノなど北イタリアで工場や農地を占拠。ロシア革命のイタリア版を画策した。
地主・資本家らは、反撃。これらの運動は失敗した。この時に活躍したのがムッソリーニであった。
ローマ進軍
19年、ムッソリーニはファシスト党を結党。共産党と議会制民主主義を非難した。
22年、ローマ進軍。国王は、ムッソリーニを首相に任命。ムッソリーニは一党独裁体制を確立。
ローマ教皇領の復活
26年、バルカン半島のアルバニアを保護国化。29年、ラテラン条約で教皇庁の独立を認めた。
ファシズムとは
- 大衆の支持
- 社会事業や国内開発の推進
- 市民的自由を無視し国家主義を掲げる
- 反対派は弾圧。
東欧
民族問題と農業不況
東欧は、ヴェルサイユ条約で多くの国が建国。しかし、多くの国が少数民族問題を抱えた。さらに、20年代に入ると農業不況。生活は困窮した。
東欧
ポーランド、ロシアと国境紛争。領土は拡大。26年、ピウスキーがクーデタで実権を握る。
ハンガリーでは、一時革命政権が成立。しかし、すぐに方向化した。
ユーゴスラヴィアの成立
セルビアは、北のクロアチア、スロヴェニアと連合王国を建国。29年、ユーゴスラヴィアと改称。
ソ連
スターリン
ソ連は、スターリンら一国社会主義派とトロツキーら世界革命派で対立していた。24年、レーニン氏が死去。スターリンは、トロツキーらを追放。独裁体制を確立した。
第一次5か年計画 農業の集団化
28年、スターリンは第一次5か年計画を実行。コルホーズ(集団農場)とソフホーズ(国営農場)を建設。農業の機械化を進めた。政府は集団化を進め、抵抗する者はつぎつぎ逮捕した。
第一次5か年計画で、集団化が完了。しかし、32年から33年に多くの餓死者を出した。
コミンテルン
この頃から、コミンテルンはスターリンの意向を重視するようになる。
アメリカ 黄金の20年代
債務国から債権国へ
アメリカは、第一次世界大戦で債権国になった。これにより、国際金融の中心はロンドン(シティ)からニュヨーク(ウォール街)へ移った。国際連盟には参加しなかったが、ワシントン会議などアメリカ主導で国際協調を進めた。
高関税政策で、自国の産業を守った。一方で、イギリスなどの戦費返済免除は拒否した。24年のルール占領でドイツの賠償金問題が表面化。ドーズ案やヤング案でボイ賞金問題にめどをつけた。
女性参政権
第1次世界大戦の影響で、20年、アメリカで女性参政権が認められた。
黄金の20年代
20年の大統領選挙で共和党が勝利。ここから12年、ハーディング・クリーリッジ・フーヴァーと共和党政権が続く。共和党は自由放任主義をとり、多くの企業が成長した。
アメリカ経済は、「永遠の繁栄」を謳歌した。フォードの大衆車はその一例である。ラジオ・映画・スポーツなどの大衆娯楽が発展。大量生産・大量消費の時代を迎える。
移民法
一方で、この時代は伝統的な白人社会の価値観を重視した。禁酒法が制定。24年、移民法を制定。東欧・南欧の移民を制限。日本や中国などのアジア系の移民は事実上禁止された。