1930年代の中華民国 満州国と日中戦争

 1930年の中国は、中華民国蒋介石の国民党が権力を握っていた。31年、中国南部で毛沢東共産党政府を成立させた。中国東北部では、31年満州事変が勃発。翌32年には日本軍の支援の下、満州国が独立。当初、国民党政府は共産党政府の攻撃を重視した。しかし、36年西安事件をきっかけに国民党と共産党が和解。共同した日本と戦うようになる。

 それまでの中華民国

 中華民国は、10年代の第一次世界大戦中に辛亥革命で成立した。中華民国は第一次世界大戦ではイギリス陣営(三国協商)で参戦。戦勝国となった。

蒋介石の国民党政府

 南京(上海周辺)には、27年のクーデターで成立した蒋介石の国民党政府があった。蒋介石を支えたのは、上海の銀行資本家でその後ろにはアメリカ・イギリスがあった。国民党政府は、35年通貨統一を実施。これにより地方の軍閥の力は弱まった。

毛沢東の共産党

 一方で、27年のクーデターで追放された共産党は、31年中国南部江西省瑞金に中華ソヴィエト共和国を成立。これに対し南京の国民党政府は包囲戦を繰り返した。その時のリーダーが毛沢東である。

満州国建国(満州事変)

 一方、国民党政府の支配下にはいった中国東北部では、31年満州事変が勃発。32年には日本軍の支援の下満州国が建国された。これに対し、国民党政府は国際連盟に提訴。リットン調査団が派遣された。国際連盟は、中国側を支持。日本はこれを不服として国際連盟を離脱した。

第二次国共合作と日中戦争

 国民党政府の攻撃を受け続けている中華ソヴィエト共和国(共産党)は、34年長征を開始。35年八一宣言をだし、内戦停止と抗日運動を促した。蒋介石はそれでも共産党との戦いを重視した。しかし、36年、軍閥の張学良が蒋介石を説得(西安事件)。37年盧溝橋事件をきっかけに日中戦争がはじまると、第2次国共合作が成立した。37年に南京が陥落すると奥地の重慶に臨時政府を樹立。日中戦争は泥沼化した。40年には日本は、元国民党の汪兆銘親日政権を南京に樹立した。

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