1930年代のフランス ブロック経済とラインラント進駐

前回の復習 1940年代後半のフランス

1940年代前半の国際情勢

フラン=ブロック

世界恐慌

 世界恐慌は、29年のニューヨークの株価大暴落(ブラックサーズデー)から始まる。

 32年、日本の高橋財政で円安政策(円輸出再禁止)を行うと、フランス経済は停滞した。

フラン=ブロック

 フランスは、自国の植民地への輸出に高い関税をかけて、日本やドイツなどの外国製品を植民地市場から撤退させた。これがフラン=ブロックである。

 フランスは、この政策でなんとか世界恐慌を乗り切った。

人民戦線内閣

 94年、EUはさらに拡大した。中欧のオーストリアと北欧のノルウェー、スウェーデン、フィンランドが加盟した。これらの国は、ソ連に配慮して中立を保っていた国である。これらの国はNATOには現在も加盟していない。22年、ウクライナ戦争が勃発すると、フィンランドとスウェーデンはNATOへの加盟を申請した。

ユーロトンネル開通

 94年、

EUの成立

ドイツ統一

ナチスドイツのラインラント進駐

ナチスドイツの景気対策

 ドイツでは、ヒトラー率いるナチ党が権力を拡大していた。ナチ党は、30年の総選挙で躍進。

 32年、ヒトラー首相が誕生。公共事業の拡大で世界恐慌から脱却。国民の支持を集める。

 33年、ドイツは、国際連盟を脱退。

 34年、ドイツ前大統領が死去。ヒトラー首相は、大統領を兼任。ヒトラー総統になる。

仏ソ相互援助条約とラインラント進駐

 34年、脱退した日本とドイツにかわり、ソ連が加盟する。

 翌35年、フランスは、ソ連に接近。仏ソ相互援助条約を締結した。ソ連とコミンテルンは、反ファシズム人民戦線を結成。ドイツとの戦争に向けて動き出した。

 これに対抗するために、ドイツのヒトラーは再軍備を宣言。イギリスもソ連を警戒し、英独海軍協定を締結。

 イタリアは、エチオピア侵攻で国際連盟を脱退した。

 翌36年、フランスでは社会党を中心とした人民戦線内閣が成立。

 ドイツは、ロカルノ条約を破棄して、ラインラントへ進駐。国際連盟を離脱したイタリア、日本と同盟関係を結んだ。イタリアとはベルリン=ローマ枢軸を、日本とは、日独防共協定を締結した。

スペイン内戦

 31年、スペインは王政を停止。共和政へ移行する。

 36年、スペインで共産党を中心とした人民戦線内閣が成立。これに地主層が警戒した。地主層と旧王党派の支持をうけたフランコ将軍が反政府軍を結成。スペイン内戦が始まった。

 ソ連は、政府軍(共産党政権)が支援。ドイツとイタリアは、反政府軍(フランコ将軍)を支援。イギリスとフランスは、中立の立場を取った。

 翌37年、日独伊防共協定が成立。ヨーロッパは、イギリス陣営、ソ連・フランス陣営、イギリス陣営の3つの勢力に集約されつつあった。

ミュンヘン会談

 38年に入ると、ドイツは領土拡大政策を開始する。当時は、スペイン内戦の真っ最中である。

 2月、オーストリアを併合した。

 3月、チェコスロバキアにドイツ人が多いスデーデン地方の割譲を要求した。チェコスロバキアは、中欧の国で、第1次世界大戦でオーストリアから独立した国の1つである。

 チェコスロバキアは、国際連盟に相談した。9月、ミュンヘン会議が行われた。参加国は、イギリス、フランス、ドイツとイタリアである。当事者のチェコスロバキアと大国のソ連は呼ばれなかった。ミュンヘン会議でチェコスロバキアのスデーデン地方の割譲が認められた。

スペイン内戦でフランコ将軍が勝利

 翌39年1月、スペイン内戦でフランコ将軍が勝利。フランコ独裁が始まる。フランコ将軍は、ドイツを一定の距離をとった。第2次世界大戦も中立の立場を取った。その結果、戦後もフランコ独裁は続いた。

 2月、イギリスとフランスは、フランコ政権を承認した。

 3月、ドイツが、中欧のチェコスロバキアを解体。

 4月、イタリアが、バルカン半島のアルバニアを併合。

第2次世界大戦へ

 8月、ドイツは、東欧のポーランドに領土を要求。イギリスがこれに待ったをかけた。これにより、ドイツとイギリスの関係に亀裂が生じた。

 そして、ドイツはソ連と独ソ不可侵条約を締結。

 翌9月、ドイツとソ連はポーランドへ侵攻。これにより、イギリス、フランスが参戦。第2次世界対戦が勃発する。

国際連盟の弱体化

第2回ジュネーブ軍縮会議が流れる

 第1次世界大戦以降、国際連盟を中心に協調外交が展開されていた。しかし、その影響力が大きく低下していた。

 27年、ジュネーブ海軍軍縮会議は流れる。30年、ロンドン講和会議は、世界恐慌を受けてアメリカとイギリスが大幅に妥協。無事講和に至った。

 32年、陸軍もふくめた、ジュネーブ軍縮会議を開催。しかし、これは決裂した。

日本ドイツの国際連盟脱退

 33年3月、満州事変をきっかけに日本が国際連盟を脱退。10月ドイツも国際連盟を脱退した。

 これにより、常任理事国は、イギリス、フランスとイタリアの3カ国になった。また、これにより、国際連盟は第1次世界大戦ド独立した小国を守るパワーを失った。ナチスの暴走につながる。

ソ連の国際連盟加盟

 34年、ソ連が国際連盟に加盟。常任理事国になる。これにより、イギリス、フランス、イタリアとソ連の4カ国体制になる。

イタリアのエチオピア侵攻

 35年、イタリアがエチオピアへ侵攻。国際連盟はこれに意義を唱えた。しかし、この効果はなかった。この事件をきっかけに国際連盟は機能不全になった。

 イタリアは、その後にドイツに接近。37年、日独伊防共協定を締結。イタリアは国際連盟を脱退した。