10世紀のシリア・パレスチナ エジプトのシリア侵攻

前回の復習 11世紀のシリア・パレスチナ

 11世紀は、セルジューク朝の時代である。シリアもセルジュークの王朝の支配下に入った。しかし、セルジューク朝はその後に分裂。その混乱期に侵攻してきたのが十字軍であった。

10世紀の国際情勢

 11世紀(901年ー1000年)の日本は、平安時代。摂関政治全盛の時代である。

 中国は、唐王朝が滅亡。五代十国の戦乱の時代に入る。イスラム世界では、シーア派のファーティマ朝とブワイフ朝が台頭。3カリフ時代に入る。

ファーティマ朝

 ファーティマ朝は、過激なシーア派(イスマイール派)の王朝である。09年に北アフリカのチュニジアで成立。10年にカリフを自称した。これにより、3カリフ時代が始まる。

 69年、エジプトを征服した。

10世紀前半のシリア

 9世紀に入ると、イスラム圏は分裂状態になっていった。シリアも例外ではない。9世紀末、エジプトのトゥールーン朝の支配下に入った。

 05年、アッバース朝(イラク)がシリアへ侵攻。トゥールー ン朝からシリアを奪回した。

 しかし、イランのブワイフ朝がバグダードに入場。アッバース朝は政治的権力を失った。シリアも、現地勢力が統治するようになった。

ファーティマ朝のシリア侵攻

 71年、セルジューク朝はビザンツ帝国領へ侵攻。マンジケルトの戦いに勝利。

 同71年、セルジューク朝は、ビザンツ帝国領イェルサレムを占領した。ちなみに、ビザンツ帝国は、同71年に南イタリアをノルマン人に占領された。

スンナ派の独立

 イェルサレムがセルジューク朝に占領されると、ビザンツ帝国は、ローマ教皇ウルバヌス2世に応援を要請した。

 ローマ教皇は、これに即して十字軍の遠征を行おうとしていた。しかし、1つ問題があった。叙任権闘争で、教皇と皇帝が対立していた。

 96年7月、ローマ教皇ウルバヌス2世は、フランスでクレルモン公会議を実施。これにより、フランスの諸侯を中心とした十字軍が結成された。

 98年、セルジューク朝は、シリアを占領。シーア派のファーティマ朝エジプトがシリア奪回のために進軍。98年7月、ファーティマ朝がイェルサレムを征服した。

 同じ頃、十字軍がイェルサレムに到着。ファーティマ朝は和解案を示したが、十字軍はこれを拒否。99年5月、戦闘を開始。7月にイェルサレムを征服した。イェルサレム王国が建国された。