中世の中央アジア

概要

 

前史

シルクロードとソグド人

 中央アジアは、中国と西アジア・ヨーロッパを結ぶ重要な交易拠点である。この地域は乾燥しており、灼熱の砂漠が続く交易路であった。そのため、所々で地下水が湧くオアシスに都市ができた。そのため、この交易路はオアシスの道と呼ばれた。また、この地域はイラン系の民族が多数住んでいた。

6世紀、トルコ系の突厥がモンゴルと中央アジアを征服。この地域に多くのトルコ系民族が移住する。

8世紀半ば、モンゴル高原で、トルコ系遊牧民族のウイグル人が東突厥を征服。この時、ソクド人が支援した。

ソグド人とは、イラン系の商人で主に中央アジアで活躍していた。隋や唐に拠点を持つ商人もいた。商品としては中国産の絹製品を取り扱っていた。そのため、オアシスの道はシルクロードとも呼ばれた。

ソクド人は、北方の遊牧民族や中国に西アジアの文化を広めつ役割も持った。マニ教、キリスト教(ネストリウス派)、仏教などはソクド人によって広まった。アラム文字をベースにしてウイグル文字が作られた。これはモンゴル文字や満洲文字の元になった。

 9世紀半ば、トルコ系遊牧民族のキルギス人がウイグル人を滅ぼす。

トルキスタン

 9世紀半ば、キルギスに敗れたウイグル人が難民として中央アジアへ侵入した。これにより、中央アジアのウイグル人が多く住む地域をトルキスタンと呼ぶようになった。ウイグル人の侵入によってイラン系の先住民もトルコ語を話すようになった。

 トルキスタンは、やがて東西に分かれ、西トルキスタンではソクド人を中心にゾロアスター教が信仰された。一方で、東トルキスタンでは、ウイグル人を中心にマニ教や仏教が信仰された。

イスラム教とトルコ人

 8世紀半ば、イスラム勢力がタラス河畔の戦いで唐王朝の軍隊を破る。これにより、多くのイスラム教徒が中央アジアへ進出した。

 9世紀後半、サーマーン朝が成立した。サーマーン朝はイラン系イスラム王朝で東トルキスタンに建国。トルコ人をマムルーク(軍人奴隷)として各国のイスラム王朝へ販売。サーマーン朝の成立によってトルコ人のイスラム教への改宗が始まった。

 10世紀末、カラ=ハン朝がサーマーン朝を滅ぼし、東西トルキスタンを統一した。カラ=ハン朝は10世紀半ばに成立した初のトルコ系イスラム王朝である。

 トルコ人の一部は、西アジアの中心部まで侵攻する者もいた。それが、11世紀のセルジューク朝である。