古代の東南アジア

地理

 東南アジアは、インド洋と太平洋(南シナ海)を隔てるように存在する。この地域は、インドシナ半島の大陸部と南側の諸島部で構成されている。

 大陸部は、山がちな地形で中国内陸部の雲南地方から流れる川沿いに発展した。西は、インド(バングラデシュ)に隣接し、東は中国に隣接する。国としては、西から、ミャンマー(ビルマ)、タイ、ラオス・カンボジアとベトナムである。ミャンマーはイラワディ川、タイはチャオプラヤ川、ラオスとカンボジアはメコン川に沿って発展した。ベトナムは南シナ海沿岸に発展した。

 諸島部は、ヨーロッパやインドから中国へ行く際に必ず通らなければならないエリアである。そのため、港湾都市として栄えた。特に、マレー半島とスマトラ島の間にあるマラッカ海峡は重要な海峡の一つである。世界史として重要な島が2つあり、北側のスマトラ島と南側のジャワ島である。北側のマレーシアと南側のインドネシアがある。

 東南アジアで有名な観光地バリ島は、ジャワ島の東側にある。国としてはインドネシアになる。また、赤道はスマトラ島を多る。マレー半島の下を通り。ジャワ島の北を通る。

 東方にフィリピンがある。ちなみにフィリピンが世界史で本格的に登場するのは16世紀の大航海時代で、アメリカ大陸が世界史に登場してくるのとほぼ同じ頃である。

 気候は、熱帯で熱帯雨林気候サバナ気候で構成されている。

歴史

ベトナム南部

紀元前2千年紀末、タイやベトナムで青銅器に使用が始まる。

紀元前4世紀、ベトナム北部で青銅器を使用したドンソン文化が起こる。この文化は中国の影響を大きく受けている。春秋戦国時代の戦乱を逃れた中国の人々が流入してきたと思われる。青銅器で作られた打楽器銅鼓(どうこ)が多く作られた。

紀元前1世紀末、ベトナムなど大陸部東部にインド(サータヴァハナ朝)や中国(漢王朝)からの船舶が多く来訪。インドや中国の影響を受けるようになる。これにより、東南アジアに港市国家が形成されていく。

1世紀、ベトナム南部に扶南(ふなん)が建国。東南アジアで最古の国家とされている。オケオ港を中心に発展した。

2世紀末、ベトナム中部(扶南の北隣り)にチャンパーが建国。

5世紀、インド化が進む。ヒンドゥー教や大乗仏教がひろまるのもこのころである。

6世紀、クメール人が扶南(ベトナム南部)を滅ぼし、カンボジアを建国。クメール人はヒンドゥー教を信仰した。

9世紀、カンボジアの都をアンコールに設置。(アンコール朝)

12世紀、カンボジアの都アンコールにアンコールワットが感染。ヒンドゥー教の寺院であるが、のち仏教寺院になる。

ベトナム北部

 ベトナム北部は、中国の歴代王朝に征服されるれきしをもつエリアである。

紀元前1世紀、漢王朝の武帝によって征服される。日南郡が置かれる。

8世紀、唐王朝の衰退とともに中国の支配が後退。

10世紀末、宋王朝がベトナムの独立を承認。大越国(李朝)が成立。

13世紀前半、李朝から陳朝へ。チュノムという漢字をベースにした文字が作られる。

14世紀末、明王朝の永楽帝によって大越国は、中国の支配下へ。

 大越国(北ベトナム)とチャンパー(中部ベトナム)は戦闘を繰りかえした。チャンパーは中国ではなく、インドの影響を大きく受けた。

ミャンマー

9世紀まで、ビュー人の国家があった。

11世紀、ミャンマー人によるパガン朝が成立。スリランカとの交流により上座部仏教が信仰された。

13世紀末、モンゴルのフビライの遠征でパガン朝が滅亡。

タイ

7世紀、モン人ドヴァーラヴァディ王国が成立。

11世紀、ミャンマーのパガン朝によって、ドヴァーラヴァディ王国が滅亡。パガン朝に支配下へ。

13世紀、スコータイ朝が成立。パガン朝の滅亡により国力を増大。パガン朝の影響で、上座部仏教を信仰。

15世紀、スコータイ朝が滅亡。

マレーシア(スマトラ島)

 ここから、諸島部の話に入る。この地域は、インドの影響を強く受けている。北のスマトラ島から見ていこう。

7世紀半ば、シュリーヴィジャヤ王国が成立。仏教を信仰。唐王朝へ朝貢も行った。

7世紀末、唐の僧侶義浄が来訪。『南海寄帰内法伝』にシュリーヴィジャヤ王国の様子が記される。

13世紀、モンゴル(フビライ)を撃退。

14世紀、シュリーヴィジャヤ王国が滅亡。

インドネシア(ジャワ島)

8世紀、仏教国のシャイレンドラ朝とヒンドゥー国のマタラム朝が成立。これらの国はジャワ島中部を支配し、西側はシュリーヴィジャヤ王国(マレーシア)が治めていた。シャイレンドラ朝は、仏教寺院としてポロプドゥールの都を造営した。

9世紀、シャイレンドラ朝が滅亡。都のポロプドゥールを中心にヒンドゥー教色が強くなる。

13世紀前半、マタラム朝が滅亡。