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ロシア史

1930年代のソ連(ロシア) スターリン書記長と世界恐慌の影響を受けないソ連

 1930年代、世界恐慌の真っただ中にあった。しかし、社会主義国になったソ連世界恐慌の影響を受けなかった。

 ソ連(ソヴィエト連邦)は、1910年代(第一次世界大戦期)にロシア革命で誕生した社会主義国である。1991年、冷戦の終結とともに崩壊した。社会主義国とは、会社のような私有企業を排除し、すべて国有企業にし、給料は国家が決める経済構造の国である。

 世界恐慌による失業率の増大、普通選挙(納税額によらない議会選挙)による労働者の増大は、各国共産党を躍進させた。これは時の政権にとって厄介な存在となった。
 これに対し、ソ連は、これら各国共産党との連携を深めた。

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アメリカ史

1980年代後半のアメリカ ブッシュ大統領と冷戦終結

1980年代後半、日本はバブル景気の中、昭和が終わり平成の時代へ入った。

 そのころのアメリカの大統領は共和党のレーガンとブッシュであった。80年代後半に入ると、ソ連は冷戦を継続する力が亡くなった。89年12月のマルタ会談で冷戦はしゅうけつした。

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トルコ・ギリシャ史

1930年代のトルコ・ギリシャ 西洋化政策を進めるケマル大統領

1930年代は戦間期に当たる。戦間期は、世界恐慌を境に栄光の20年代と戦争へ向かう30年代に分けられる。今回は戦間期後半の30年代のギリシャとトルコを見ていく。

 第一次世界大戦で、バルカン半島と中東はガラッと状況が変わった。オスマン帝国の崩壊で多くの国が誕生した。トルコではトルコ共和国が成立。西洋化政策を進めている。一方、ギリシャでは王政が復興した。

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トルコ・ギリシャ史

17世紀後半のトルコ・ギリシャ オスマン帝国とモーツァルト

17世紀後半、オスマン帝国は衰退期に入りつつあるも、以前、ヨーロッパに脅威を与え続けていた。この時期に第2回ウィーン包囲が行われた。これによって、アジアの文化がヨーロッパにもたらされた。その代表例がモーツァルトのトルコ行進曲であった。

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アメリカ史

1990年代のアメリカ 民主党クリントン大統領とIT革命

1990年代、日本はバブル経済が崩壊。失われた10年の時代に入る。
このころ、アメリカでは冷戦が終結。アメリカの1人勝ちの状況となった。そのような中、IT革命がおきた。その象徴がWindows95である。これによりITバブルが発生した。

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インド史

1930年代のインド ガンディの塩の行進と35年インド統治法

1930年代、世界大恐慌の真っただ中にあった。そのような中、ナチスドイツなどのファシズムソ連を中心とした共産主義勢力が台頭してきた。イギリスなどの旧勢力を交えて3すくみの状況で第二次世界大戦へ突入した。

 そのころ、インドはイギリスの植民地化にあった。ガンディら国民会議派を中心に自治権拡大を求めていた。

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トルコ・ギリシャ史

18世紀前半のトルコ・ギリシャ チューリップ時代のオスマン帝国

18世紀前半、日本は暴れん坊将軍こと徳川吉宗の時代である。

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中国史

1930年代の中華民国 満州国と日中戦争

 1930年の中国は、中華民国蒋介石の国民党が権力を握っていた。31年、中国南部で毛沢東共産党政府を成立させた。中国東北部では、31年満州事変が勃発。翌32年には日本軍の支援の下、満州国が独立。当初、国民党政府は共産党政府の攻撃を重視した。しかし、36年西安事件をきっかけに国民党と共産党が和解。共同した日本と戦うようになる。

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アメリカ史

2000年代のアメリカ 9・11とブッシュ大統領

 00年代、日本は小泉政権の時代である。

 この頃、アメリカでは、共和党ブッシュ大統領が就任した。就任直後に9・11テロが発生。アフガニスタン戦争やイラク戦争が勃発した。ブッシュ大統領末期にはリーマンショックが発生。世界的な不況に発展した。

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日本史

1930年代の日本 満州事変で国際的に孤立

 

高橋財政で景気回復

日本は20年代から不況に入ったいた。第一次世界大戦でアジア各地の工業化が進んだ。そのため、戦後恐慌が始まった。そのような中、関東大震災で景気はさらに落ち込んだ。この不況は金融恐慌にまで発展した。そこに追い打ちをかけいたのが 29年の世界大恐慌であった。

 そのような中、高橋是清が大蔵大臣(今の財務大臣金融庁長官)に就任。金本位制を取りやめ円安誘導による輸出拡大、財政出動を行い不況から脱した。しかし、イギリス・フランスが高関税政策をとると、輸出が減り再び不況に入った。

日中戦争(外交、軍事)

軍縮の20年代

 第一次世界大戦が終結すると米英日で海軍の軍縮交渉が頻繁に行われた。しかし、この軍縮交渉はなかなか終わらなかった。しかし、29年の世界大恐慌で、軍事費、とくに海軍の軍事費の削減が必要になった。そのため、30年ロンドン海軍軍縮会議で、海軍の軍縮がようやくまとまった。 

満州事変で国際連盟を脱退

 31年中国東北部(満州)で満州事変が勃発。日本と中華民国は緊張状態に入る。日本は、満州を勢力圏に置き、清の最後の皇帝溥儀のもと、満州国を樹立した。国際連盟は、東欧の新興独立国を中心に満州国成立を認めなかった。そのため、33年日本は国際連盟を離脱した。37年には、日中戦争がはじまった。
 英米の協力を得られなくなった日本は、ファシズム国家のヒトラー下のナチスドイツムッソリーニ政権下のイタリアと37年日独伊防共協定を結んだ。

第二次世界大戦へ

 世界は、イギリスを中心としたのちに連合国と呼ばれるグループとドイツを中心としたのちに枢軸国と呼ばれるグループに分かれた。その中でキャスティングボードを握ったのが世界大恐慌で無傷であったソヴィエト連邦であった。
ソヴィエト連邦は、第一次世界大戦で独立した東欧諸国を分割するため、39年ドイツと不可侵条約を締結した。39年ドイツがポーランドへ侵攻するとイギリス・フランスはポーランドを支援。第二次世界大戦が開戦した。

軍国主義の道へ

 そのような中、日本国内では、五・一五事件二・二六事件など若手軍人将校の政府要人の殺害事件がおきた。