14世紀のロシア(モスクワ大公国) モンゴルからの独立

 14世紀、ロシアはモンゴルの支配下にあった。当のモンゴル帝国はすでに兄弟間で分裂していた。ロシアにあったのは長男ジュチ家のキプチャクハン国であった。この14世紀前半、キプチャクハン国は全盛期を迎えた。

ロシアの前身モスクワ大公国

 13世紀末、モスクワ大公国が成立。モスクワ大公国は、キプチャクハン国からロシアの支配権を認めてもらえる代わりに、毎年キプチャクハン国へ貢納を行った。

キプチャクハン国の衰退

 14世紀半ば、チンギスハンから続く血統が途絶えた。貴族同士の争いの時代に入った。さらにヨーロッパで流行した黒死病(ペスト)の流行がロシアまでやってきた。

 14世紀後半には、東西に大帝国が成立した。ポーランド(西)とティムール(東)である。これらの要因によりキプチャクハン国は衰退へ向かう。

ウズベク=ハン

キプチャクハン国の全盛期

 13年、ウズベク=ハンが即位。キプチャク=ハン国の全盛期を迎える。このころの政治課題は、イル=ハン国との戦いである。キプチャク=ハン国もイスラム教徒支持を得るため、イスラム教へ改宗を行った。首都サライでは、イスラム教の施設を作った。また、ジェノヴァヴェネツィアとの交易も進めた。サライにはヨーロッパ式建築物も多数建築された。

イル=ハン国包囲網

 キプチャク=ハン国は、カフカス地方をめぐり、イル=ハン国と交戦状態にあった。そのため、エジプトのトルコ人国家マムルーク朝と同盟を締結した。

キプチャクハン国の衰退の始まり

 42年、ウズベク=ハンはサライで亡くなる。59年には、バトゥの血統が途絶える。その後、国家的統合が亡くなる。

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