第三世界と冷戦

(前史)19世紀後半のヨーロッパ

第三世界

冷戦

 第二次世界大戦後、アジア・アフリカ諸国が独立した。冷戦の激化。独立諸国は、どちらにも属さない第参戦勢力の形成に向かい始めた。

AA会議

 53年、新興国の中華人民共和国が朝鮮戦争で最強のアメリカに引き分ける。

 54年、東南アジアと南アジアの国々が核実験の停止を提案。

 54年、ジュネーブ講和会議の最中、中国の周恩来首相とインドのネルー首相が平和五原則を発表した。

 翌55年、インドネシアのバンドンでアジア=アフリカ会議を開催。

 60年、アフリカの年で多くの国が独立。

 61年、ユーゴスラヴィアのベオグラードで第1回非同盟諸国首脳会議を開催。

中東戦争(イスラエル vs エジプト)

第1次中東戦争 イスラエル戦争

 45年、エジプト王国がアラブ連盟を結成。

 48年、アラブ連盟が第1次中東戦争に敗北。国王の権威が失墜する。

 52年、ナセルら将校団が王政を倒す(エジプト革命)。翌53年に共和政へ移行。

第2次中東戦争 スエズ動乱

 56年、ナセル氏が大統領に。アメリカ資本でアスワン=ハイダムを建設。一方で冷戦では中立政策をとった。

 アメリカは、アスワン=ハイダムへの資金提供を停止。ナセル大統領は、資金の確保のためにスエズ運河を国有化した。

 株主のイギリスとフランスは、イスラエルとともにエジプトへ侵攻した。エジプトは常に劣勢であった。

 しかし、国際世論が批判。アメリカやソ連も国連で批判。3国は撤退した。これによりナセル大統領は、アラブ民族主義の指導的な立場に立った。

第3次中東戦争

 64年、PLO(パレスチナ解放機構)が誕生。イスラエルへの抵抗運動が強化された。

 67年、イスラエルがエジプト・シリアへ奇襲。アラブ諸国は敗戦。ナセル大統領を中心としたアラブ民族主義は衰退に向かった。

第4次中東戦争

 70年、エジプトではナセル大統領が引退。サダト大統領が誕生した。

 73年、エジプトはシリアとともにイスラエルへ反撃。石油戦略を駆使し、停戦へ持ち込んだ。

 79年、エジプト=イスラエル平和条約

 81年、サダト大統領が暗殺。イスラエル和平はムバラク大統領へ引き継がれた。ムバラク大統領は長期独裁政権をひき、2011年のアラブの春まで続いた。

アフリカ諸国の独立

アルジェリアとガーナ

 56年、北アフリカ西部のモロッコとチュニジアが独立した。

 このとき、アルジェリアも独立するはずだった。しかし、フランス人入植者や現地の軍部の反対で実現しなかった。FLN(民族解放戦線)と独立反対派の武力闘争に発展した。

 57年、エンクルマを指導者にガーナがフランスから独立。最初の自力独立の黒人共和国になった。

アフリカの年

 60年、アフリカの年で17か国が独立した。

 63年、エチオピアでアフリカ諸国首脳会議を開催。OAU(アフリカ統一機構)が結成された。

独立後のアフリカの課題

 ポルトガルの植民地 → なかなか独立できない

 コンゴ(ベルギー)→ ベルギーの介入で内乱へ

 南アフリカは、白人支配を維持するために人種隔離政策(アパルトヘイト)をとった。

 植民地時代は、宗主国の経済利益に即した輸出向け単一作物栽培によって開発された。

 そのため、独立後の政治・経済は不安定。内戦やクーデターが繰り返され、軍事独裁政権がしばしば登場した。

 64年、UNCTAD(国連貿易開発会議)を結成。

ラテンアメリカ

OAS米州機構

 戦後、アメリカ合衆国の強い影響下に置かれた。

 47年、リオ協定

 48年、OAS(米州機構)を結成

独立

 ラテンアメリカ諸国は、アメリカから輸入した工業製品を自国製品へ切り替える動きを進めた。これにより、民族主義の政権とアメリカの対立が始まった。

 南米アルゼンチンは、46年に反米のベロン大統領が誕生した。

 中米グアテマラ。51年、左翼政権成立。54年、軍部がアメリカの支援でクーデター。

キューバ革命

 中米キューバは、親米のバティスタ独裁政権で始まった。

 59年、カストロ氏が、キューバ革命でバティスタ政権を倒し、革命政府を樹立した。

 カストロ革命政府は、土地改革を実行。アメリカ資本の砂糖企業を国有化した。

キューバ危機と軍縮

キューバ危機

軍縮交渉

アメリカ ジョンソン大統領と公民権運動

ソ連 ブレジネフ第一書記とプラハの春

ヨーロッパ

西ドイツ

スペイン・ポルトガル

ベンガル分割令

国民会議派

全インド=ムスリム同盟 

中国

毛沢東

 49年、中華人民共和国建国

 50年、朝鮮戦争

 50年代前半、日中戦争以前の経済水準を回復。

 「大躍進」政策。農村で人民公社を設立。

劉少奇氏

 「大躍進」政策が失敗。

 59年、劉少奇氏が国家主席に。チベットで反乱。これを鎮圧。インドと軍事衝突

中ソ対立

 毛沢東氏は党主席に残っていた。アメリカとの対決姿勢を明確化。ソ連の平和共存路線を批判。

 60年、ソ連は中国への経済援助を終了。中ソ対立が始まった。69年には国境紛争まで発展した。

文化大革命

 劉少奇氏は鄧小平氏らとともに、資本主義の復活に近い政策をとった。

 これを林彪氏らが批判。66年、文化大革命を実行。劉少奇氏や鄧小平氏らは失脚した。

鄧小平体制へ

 71年、林彪氏が失脚。76年1月、周恩来首相が死亡。76年9月、毛沢東氏が死亡。

 76年9月、華国鋒首相が文化大革命推進派を逮捕。77年文化大革命は終了。

 78年、鄧小平氏ら新指導部が発足。「四つの現代化」制セクで市場開放を進めた。

東南アジアとベトナム戦争

ベトナム戦争とジョンソン大統領

ニクソン大統領

大統領就任

日本

中国

ベトナム和平

ウォーターゲート事件 

カンボジア

 70年、親米右派勢力が、シハヌーク国王追放。

 ポル=ポト派と親米右派勢力の内戦へ

 75年、ポル=ポト派が勝利。民主カンポチアを建国。

ラオス

 60年代前半、政権を握る右派と反政府軍の左派による名瀬印が始まる。

 75年、左派のラオス愛国戦線が勝利。ラオス人民民主共和国が成立。

アジアと開発独裁

ニクソンショックと開発独裁

韓国

インドネシア

マレーシアとシンガポール

 ASEAN

インド

イラン 

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