1980年代後半、日本はバブル景気の中、昭和が終わり平成の時代へ入った。
そのころのアメリカの大統領は共和党のレーガンとブッシュであった。80年代後半に入ると、ソ連は冷戦を継続する力が亡くなった。89年12月のマルタ会談で冷戦はしゅうけつした。
1980年代後半、日本はバブル景気の中、昭和が終わり平成の時代へ入った。
そのころのアメリカの大統領は共和党のレーガンとブッシュであった。80年代後半に入ると、ソ連は冷戦を継続する力が亡くなった。89年12月のマルタ会談で冷戦はしゅうけつした。
17世紀後半、オスマン帝国は衰退期に入りつつあるも、以前、ヨーロッパに脅威を与え続けていた。この時期に第2回ウィーン包囲が行われた。これによって、アジアの文化がヨーロッパにもたらされた。その代表例がモーツァルトのトルコ行進曲であった。
1990年代、日本はバブル経済が崩壊。失われた10年の時代に入る。
このころ、アメリカでは冷戦が終結。アメリカの1人勝ちの状況となった。そのような中、IT革命がおきた。その象徴がWindows95である。これによりITバブルが発生した。
18世紀前半、日本は暴れん坊将軍こと徳川吉宗の時代である。
00年代、日本は小泉政権の時代である。
この頃、アメリカでは、共和党ブッシュ大統領が就任した。就任直後に9・11テロが発生。アフガニスタン戦争やイラク戦争が勃発した。ブッシュ大統領末期にはリーマンショックが発生。世界的な不況に発展した。
日本は20年代から不況に入ったいた。第一次世界大戦でアジア各地の工業化が進んだ。そのため、戦後恐慌が始まった。そのような中、関東大震災で景気はさらに落ち込んだ。この不況は金融恐慌にまで発展した。そこに追い打ちをかけいたのが 29年の世界大恐慌であった。
そのような中、高橋是清が大蔵大臣(今の財務大臣兼金融庁長官)に就任。金本位制を取りやめ円安誘導による輸出拡大、財政出動を行い不況から脱した。しかし、イギリス・フランスが高関税政策をとると、輸出が減り再び不況に入った。
第一次世界大戦が終結すると米英日で海軍の軍縮交渉が頻繁に行われた。しかし、この軍縮交渉はなかなか終わらなかった。しかし、29年の世界大恐慌で、軍事費、とくに海軍の軍事費の削減が必要になった。そのため、30年ロンドン海軍軍縮会議で、海軍の軍縮がようやくまとまった。
31年中国東北部(満州)で満州事変が勃発。日本と中華民国は緊張状態に入る。日本は、満州を勢力圏に置き、清の最後の皇帝溥儀のもと、満州国を樹立した。国際連盟は、東欧の新興独立国を中心に満州国成立を認めなかった。そのため、33年日本は国際連盟を離脱した。37年には、日中戦争がはじまった。
英米の協力を得られなくなった日本は、ファシズム国家のヒトラー下のナチスドイツ、ムッソリーニ政権下のイタリアと37年日独伊防共協定を結んだ。
世界は、イギリスを中心としたのちに連合国と呼ばれるグループとドイツを中心としたのちに枢軸国と呼ばれるグループに分かれた。その中でキャスティングボードを握ったのが世界大恐慌で無傷であったソヴィエト連邦であった。
ソヴィエト連邦は、第一次世界大戦で独立した東欧諸国を分割するため、39年ドイツと不可侵条約を締結した。39年ドイツがポーランドへ侵攻するとイギリス・フランスはポーランドを支援。第二次世界大戦が開戦した。
18世紀後半、日本は江戸時代後期。松平定信の寛政の改革のころである。
この時代、オスマン帝国は黒海の北部クリミア半島周辺をめぐり、ロシア帝国と戦争を繰り返していた。この戦争は突如として終わった。その理由がフランス革命である。しかしは、フランス革命は新たな敵を呼んだ。ナポレオンのエジプト遠征である。