14世紀、日本は鎌倉幕府が滅亡。南北朝の戦乱期に入る。世界的にも、ペストが流行、暗黒の中世を象徴する世紀であった。
このころ、イランはモンゴル帝国の支配下にあった。14世紀のモンゴルは、分裂・衰退傾向にあった。1370年、ティムールが登場。中東、ペルシア、中央アジアは再統一された。
ティムール、モンゴル再興の夢を見る
アンカラの戦い(オスマン帝国)
15世紀に入ると、小アジアへ侵攻。アンカラの戦いでオスマン帝国に大勝した。当時、オスマン帝国は滅亡寸前のビザンツ帝国と戦っていた。これによりビザンツ帝国は15世紀半ば前延命した。
サマルカンドの再建
ティムールは、ソクド人の都サマルカンドを再建した。サマルカンドは、現在のウズベキスタン(中央アジア)にあり、世界遺産となっている。サマルカンドの再建にはインド人技師が使われた。
サマルカンドは、紀元前4世紀にアレキサンドロス大王が訪問。7世紀には、中国唐王朝の時代にソクド人(イラン系)が活躍。8世紀にはトルコ系民族が登場。しかし、13世紀チンギスハンによってサマルカンドは破壊された。
インドへ侵攻
ティムールは、98年インドへ侵攻した。デリーは破壊された。当時のインドはデリースルタン朝のトゥグルリ朝であった。ティムールの侵攻でトゥグルク朝は滅亡。ティムールの支援を受けたサイイド朝が成立した。
ティムールは、多くのインド職人をサマルカンドへ連行。サマルカンドの再建をさせた。
イスファハーンの占領
ティムールは、分裂状態のイルハン国(中東)を吸収。80年イランのイスファハーンを占領した。ティムールはさらにキプチャクハン国(ロシア)へも侵攻した。
ティムール朝の成立
ティムールは、チャガタイハン国の貴族出身である。トルコ化し、トルコ語とペルシャ語が話せた。70年ティムールは、ティムール朝を開いた。ティムールは分裂状態のチャガタイハン国を統一した。
モンゴル4ハン国の滅亡
チャガタイハン国(中央アジア)
チャガタイハン国は、チンギスハンの次男チャガタイ家が建国した中央アジアの国である。13世紀半ばに三男のオゴタイ家のハイドゥに乗っ取られた。
13世紀末、元王朝皇帝フビライハン(四男トゥルイ家)が亡くなる。ハイドゥは、元王朝皇帝の継承権を主張して元王朝へ侵攻した。ハイドゥの乱である。ハイドゥの乱は失敗に終わり、オゴタイ家は滅亡。チャガタイ家が復活した。このハイドゥの乱により、中央アジアの3ハン国は元王朝から完全に独立した。
14世紀に入ると、元王朝(中国)の影響を受けなくなった。トルコ人化が進み、イスラム教が浸透した。40年には東西に分裂。次第に中央政府の影響力が衰退していった。
イルハン国(イラン・中東)
イルハン国は、トゥルイ家フラグが中東に建国した国でる。トゥルイ家はチンギスハンの四男の家系で、フラグは、元王朝皇帝フビライハンの弟である。ペルシア(イラン)やメソポタミア(イラク・バグダード)、シリア、小アジア(トルコ)をしはい。都は、カフカス地方のタブリーズ(アゼルバイジャン)とした。
キプチャクハン国とマムルーク朝エジプトと交戦。中東の人々の支持を得るため、イスラム教スンニ派に改宗した。
35年にフラグの血統が途絶えると各地の太守が自立。群雄割拠の時代に入った。この分裂状態のイルハン国はティムールによって統一された。
キプチャクハン国(ロシア)
キプチャクハン国は、とジュチ家バトゥがロシア(黒海とカスピ海の北)に建国した国。バトゥは、チンギスハンの長男ジュチの子である。都はカスピ海の北にあるサライとした。
カフカス地方をめぐり、イルハン国と交戦していた。カフカス地方は、黒海とカスピ海の間のカフカス山脈の周辺である。イルハン国との交戦に備えてマムルーク朝エジプトと同盟を結んだ。
14世紀は変革の世紀
14世紀は暗黒の世紀であると同時に王朝交代が相次いだ。バブル崩壊が55年体制を崩壊させたように景気の悪化はいつの世においても国の滅亡の要因であるようだ。
コメント
[…] 14世紀後半には、東西に大帝国が成立した。ポーランド(西)とティムール(東)である。これらの要因によりキプチャクハン国は衰退へ向かう。 […]