11月から12月にかけて共通テスト解いてみたをやっていきます。今回は、第4問をやっていきます。
第4問は、史料問題が3問出題されています。1と2は有名な条約の条文である。しかし、最後は初見の史料問題である。この問題では史料の文中から回答を導くことが求められます。
著作権の問題が怖いので過去問はこちらのリンクから、入ってください。
A
第4問は歴史的資料を読み解く問題のようです。Aはリード文より19世紀(1801年~1900年)の資料とわかる。さらに条文でスルタンとバルカン半島のキーワードから、条約締結国の1つがバルカン半島と推測される。
問1
正解 2 ロシア=トルコ戦争のサン=ステファノ条約
19世紀のヨーロッパで講和条約を破棄したといえば、ロシア版三国干渉ことロシア=トルコ戦争のベルリン条約である。
なお、クリミア戦争は、1850年代のロシアとトルコの戦争でトルコがイギリスなどの協力で勝利した戦争である。私はペリーの来航と合わせて年代を覚えました。講和条約は、戦勝国で行われたパリ条約である。
問2
正解 2 bのブルガリア
講和条約の第一条は通常、1番の争点が記載される。ベルリン条約の最大の目的は、ロシアが、ブルガリアを通って地中海に出ることを防ぐことにあった。よって、「ア」に入るのは、黒海沿岸のブルガリアである。
問3
正解 3 あー誤 いー正
あ イタリア→オーストリア
1880年代、バルカン半島に興味を持っていたのは、北東に位置するロシアと北西に位置するオーストリアである。1870年代のイタリアは、建国したばかりでドイツ帝国と同様まだ海外進出する余力はない。
い 正文
時代が進んで、第1次世界大戦のきっかけとなったサラエボ事件の説明である。
B
問4
正解 1イ―アメリカ ウーソ連
イ アメリカ
連合国軍の中心は、アメリカである。第2次世界大戦中のフランスは、44年のパリ解放までナチスドイツの支配下にあった。
ウ ソ連
ソ連は、下記の条件が認められず調印を拒否した。
- 招待されなかった中華人民共和国(毛沢東共産党の北京政府)の主権
- 日ソの国境問題(千島・樺太)
- アメリカの沖縄・小笠原諸島の返還
- 在日米軍の撤兵
インドは、パキスタンを支援するアメリカへの反発からサンフランシスコ講和条約に不参加である。
問5
正解 3 Y→X→Z
X 中国とアメリカの共同宣言 → 1972年2月
70年代のベトナム戦争泥沼化を打開するため
Y 中国とソ連の条約→1950年 中ソ友好同盟相互援助条約
50年の朝鮮戦争に勝つための条約
Z 中国と日本の共同声明 → 1972年9月
日本は、アメリカに追随
問6
正解 2
51年のサンフランシスコ講和条約に中華人民共和国が呼ばれなかった理由
① × 国民党と共産党の連携は
第1次 1924年→北方の軍閥と戦うため
第2次 1937年→日本軍と戦うため
② 〇 アメリカが中華民国(国民党の台湾)を国連の正式代表とした → 国際連合成立時の1940年代後半
③ × 朝鮮戦争も1950年代で正しいが、中華人民共和国が支援したのは大韓民国ではなく朝鮮民主主義人民共和国
⓸ × 民主化運動の武力弾圧→89年の天安門事件
C
Cは、初見の史料をベースに出題されています。特に問7は史料から回答を導く問題になっており、現代文の素養も求められます。
問7
正解 1あー『シャクンタラー』 W
エーサンスクリット語
↑古代インドで多くの文学作品を生み出す。
あー『シャクンタラー』4~5世紀のインドの戯曲
いー『ルバイヤート』12世紀のアラビアの科学書
WとYの判定は、現代文の問題である。
W-〇 アラビア語をインド人教育に用いるのに効果的だと考える公共教育委員がいる。
(2段落目)(公共教育委員の)残り半分は、アラビア語とサンスクリット語を推しています。
Y-× 東洋学者の中に、西洋の文献の優勢を否定する者がいる。
(3段落目)すぐれた…私(マコーリー)は彼ら(東洋学者)の中に1人も見いだせなかった。
問8
正解3 えーY
う ×→英語がイギリス統治以前に使われた実績はない
え 〇→英語とインド諸語を理解するインド人役人の育成
Y 〇
Z × 仏教徒→ヒンドゥー教徒
問9
正解 2
① × タミル語→ 紀元前後から南インドで使われたいた
② 〇 ムガル皇帝シャー=ジャハーンがタージマハルを作った。
③ × 影絵ワヤン→インドネシアの文化
⓸ × ウルグ=ベク → ティムール朝
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