古代のギリシャ

地理

 農産物がほとんどとれず、オリーブ・ぶどう(ワイン)などの果樹栽培が主流であった。穀物は、エジプトや黒海沿岸で栽培されたものを買っていた。

エーゲ文明

 紀元前2000年 クレタ島でクレタ文明

 紀元前16世紀、北方のギリシャ人がミケーネ文明

 紀元前15世紀、クレタ島へ侵入。トルコ(小アジア)のトロイヤまで広がった。

 紀元前12世紀、ミケーネ文明は滅亡した。原因は不明でアある。「海の民」の影響を受けたとか、支配体制の生きづまり、気候の変動などの説がある。

 その後、8世紀までの400年間は暗黒の時代といわれる。

 ミケーネ文明は、線文字Bを使用。貢納王政が行われた。貢納王政とは、農民から農産物や手工業品(武具など)を貢納させ、王宮で働く者の給料とした。

 ギリシャの人々は、言語の違いから、イオニア人・アイオリス人・ドーリア人に分かれていた。

ポリス

 暗黒時代を経た後の8世紀のはなしである。

 有力貴族を中心とした集落が形成される。アクロポリス(城山)を中心に集住(ヒノイキスモス)した。これらの都市はポリスといわれた。

 ギリシャ人は、地中海や黒海沿岸に拠点(植民市)を建設した。フェニキア文字をベースにしたアルファベットを使用した。一方で、フェニキア人と争うようになった。

 統一国家は形成されなかったが、ポリス同士の交流はあった。ギリシャ語のはなせるヘレネス(ギリシャ人)とギリシャ語の離せないバルバロイ(異民族)を区別した。

市民と奴隷

 ギリシャの人々は、市民と奴隷で構成されていた。さらに、市民は貴族と平民に分かれた。貴族は、代々続く富裕層である。高価な武具を身に着け、馬に乗ってポリスを守った。

 紀元前7世紀まで、軍人である少数の貴族によって政治が行われた。

 平民は、貴族同様に、土地や奴隷を所有していた。

 奴隷は、借金で市民から奴隷に転落したものや戦争の捕虜などがいた。

 ポリスは、城壁に囲まれた市域と周辺の田園で構成されていた。市域には、神殿などがたつアクロポリス、市場や議会が開かれるアゴラ(広場)などがあった。田園は市民が所有し奴隷が工作を行った。

アテネとスパルタ

 主要なポリスは、イオニア系のアテネとドーリア系のスパルタがあった。

 アテネは、3分の1が奴隷で、その大部分はギリシャ語の話せない異民族であった。

 一方、スパルタはほとんどが奴隷であった。少数の市民が非ドーリア系の奴隷を使った。そのため、スパルタでは奴隷の反乱に気を使った。そのため、奴隷の反乱が防げるように市民は軍事訓練を行った。これがスパルタ教育の始まりである。これにより、スパルタは最強の陸軍国になった。一方で、他国の情報が奴隷に伝わらないように鎖国政策をとった。

直接民主政

紀元前7世紀になると武具が買える平民が登場。重装歩兵として戦争に参加するようになった。これにより、平民は参政権をもとめるようなった。

紀元前7世紀まで、少数の貴族のみによって政治が行われた。

紀元前7世紀、ドラコンが法律を成文化。これにより、人々は貴族の気分で左右されることなく、法律に基づいて罰を受けるようになった。

紀元前6世紀初頭、ソロンの改革が行われた。豊かな市民に参政権を与えた。一方で、借金苦の市民を奴隷として売ることを禁止した。

紀元前6世紀半ば、ペイシトラトスが僭主政治を行った。僭主とは独裁者のことである。ペイシストラトスは、貧しい平民の支持を集めて独裁体制を構築した。

紀元前6世紀末、僭主政治が崩壊。クレイステネスが改革を行った。僭主が登場しないように陶片追放(オストラキスモス)を導入した。

ペルシャ戦争

 紀元前5世紀前半、ペルシャ戦争に勝利。

 ペルシャ戦争によって、アテネを中心としたデロス同盟が結成された。

 ペルシャ戦争では、船の漕ぎ手として無産市民が活躍した。そのため、紀元前5世紀半ばに、アテネでは無産市民にも参政権が与えられた。すべての成年男子市民による民会が開かれるようになった。

 将軍は、民会で選ばれたが、それ以外の役人や裁判の陪審員は抽選で選ばれるようになった。一方で政治家や役人の責任は弾劾裁判で追及された。

 この民主制は、奴隷、在留外国人や女性には与えられなかった。

ペロポネソス戦争

 紀元前5世紀後半になると、ギリシャはポリス同士の争いの時代に入った。アテネとスパルタが戦争を開始した。(ペロポネソス戦争)。最初、アテネが優勢であった。しかし、アテネで疫病が流行。さらに、アケメネス朝ペルシャがスパルタを支援。スパルタが勝利した。

 これにより、紀元前5世紀末にはギリシャの中心はアテネからスパルタへ移った。一方で、紀元前4世半ばには、テーベが台頭。アテネ、巣スパルタとテーベの3つ巴の状況になった。

 戦争の形態もこのころから変わった。市民による軍隊から、金銭で雇われた傭兵中心の軍隊になった。これにより、市民の団結力を失われた。

 紀元前4世紀後半、ギリシャは、北方のマケドニアを中心としたコリントス同盟に集約された。

アレキサンダー大王

 紀元前4世紀後半、ギリシャを手中に収めたマケドニアでアレキサンダー大王が即位。アケメネス朝ペルシャへ向った。(方法遠征)。アレキサンダー大王はインド西北部(インダス川)まで広がる大帝国を築いた。

 マケドニアは、アレキサンダー大王の死後、3つに分裂した。ギリシャには、アンディゴノス朝マケドニア、セレウコス朝シリアとプトレマイオス朝エジプトである。

 アンディゴノス朝マケドニアは、紀元前2世紀のポエニ戦争期に、共和政ローマによって滅亡した。

 セレウコス朝シリアは、紀元前3世紀半ばにイランでパルティアが独立。東半分を失った。そして紀元前1世紀、共和制ローマのポンペイウスによって滅ぼされた。

 プトレマイオス朝エジプトは、紀元前1世紀に世界三大美女の一人クレオパトラが登場。しかし、共和制ローマのアウグスティヌスによって滅ぼされた。

文化

 明るく合理的で人減中心的な文化。奴隷が仕事をしていたので活発に議論が行われた。

 宗教 多神教(オリンポス12神

 初期、ホメロスヘシオドスの叙事詩による神話からスタート。

 紀元前6世紀、神話からイオニア自然哲学へ。万物の根源を探す哲学者が次々現れた。タレス、ピタゴラス。

 紀元前5世紀、文化の中心はペルシャ戦争に勝利したアテネになる。三大悲劇詩人(アイスキュロス、ソフォクレス、エウリビデス)。喜劇作家アリストファネス

 紀元前5世紀半ば、直接民主政が導入されると、職業教師(ソフィス)が登場。ソクラテス、プラトン、アリストテレス。歴史書の編纂も始まった。ヘロドトス、トゥキディデス。

 建築では、力強いドーリア式(スパルタ)、優美なイオニア式(アテネ)と華麗なコリント式(マケドニア)がある。

 紀元前3世紀のアレクサンダー大王時代が終わると、ヘレニズム文化が台頭。ポリスよりも個人を大切にする世界市民主義が台頭。快楽を求めるエピクロス派や禁欲を重視するストア派(ストイックの語源)がある。ユークリッド幾何学のエウクレイデスやアルキメデスの原理のアルキメデスはこの時代に人である。

 ヘレニズム文化は、1世紀のインド(クシャーナ朝)のガンダーラ美術に大きない影響を与えた。